
イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市です。その中心を貫くボスポラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいます。イスタンブールは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都でした。これは、今もイスタンブールの誇りで、輝かしい未来が期待される一方、過去の遺産も数多く残しています。
実際、イスタンブールを訪れる人々を魅了するのは、その多彩さなのです。博物館、教会、宮殿、偉大なるモスク、バザール(市場)、美しい自然など、見どころに尽きません。夕暮れ時、ボスポラス海峡の岸辺にたたずみ、対岸に見える家々の窓辺を夕陽が赤々と染めていく光景をじっと眺めていると、何世紀も前に人々がなぜこの非凡な地を選んで定住したのかが、突然、そして心の底から理解できることでしょう。こんな時、人はイスタンブールがまさに世界でも最も素晴らしい都市の一つだと実感するのです。

ボスポラス海峡、金角湾とマルマラ海の出会うところに、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であった
トプカプ宮殿
があります。トプカプ宮殿は様々な建物が迷路のようにつながっていて、豪奢を極めた宮殿の中で、スルタンと家来たちは生活し、統治していました。
宮殿の外側、第一庭園と呼ばれるところは、樹木の生い茂る見事な庭園です。第二庭園の右側、糸杉とプラタナスの木陰になる場所はかつての宮廷の調理棟で、現在は帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館となっています。左側は、スルタンの多くの妻たち、そしてその子供たちが暮らした部屋が残るハーレムで、何世紀にも渡った密会の余韻がいまも漂い、訪れる人を不思議な気分に落とし入れます。
現在では、第三庭園には謁見の間、アフメット3世の図書館、スルタンと家族の衣装の展示館、宝物館、極めて貴重な中世の手書きの細密画のコレクションがあります。この聖域の一番奥中央には聖衣の間があり、オスマン帝国がイスラムのカリフ制度を確立させた時にイスタンブールにもたらされた預言者モハメッドの遺蹟が祀られています。(火曜休館)
スルタン・アブドゥルメジット1世によって19世紀中頃に建てられた
ドルマバフチェ宮殿
は、ボスポラス海峡のヨーロッパ側の岸に沿って、海峡側を正面にして建てられた全長600メートルの宮殿です。56本の円柱と、750個のキャンドルがついた4.5トンの重さの巨大なクリスタルシャンデリアのある広大なレセプション・サロンに、訪れた人はきっと目を見張ることでしょう。
バード・パビリオンではかつて、宮殿に住む特権階級の人々を喜ばせるために、世界中から集めた鳥を飼っていました。トルコ共和国の建国の父であるアタチュルクは、1938年11月10日にこのドルマバフチェ宮殿で亡くなりました。(月曜・木曜休館)
19世紀、スルタン・アブドゥルアズィスは、ボスポラス海峡のアジア側に、木蓮をたくさん植えた庭を中央に配した白い大理石造りの夢のように美しい宮殿、
ベイレルベイ宮殿
を建てました。ここはスルタンの夏の別荘に使われ、外国からの賓客が訪れたときにも滞在先として使われました。フランス皇后ユージェニーも、ここに滞在した一人です。(月曜・木曜休館)
ユルドゥズ宮殿
のステート・パビリオンは、一連のパビリオンとモスクを統合した建物です。アブドゥルハミット2世によって、19世紀の末に完成しました。建物の中で最も広く優雅なシャレは、スルタンたちが暮らし、客をもてなした場所で、とても贅沢な作りです。世界中のあらゆる場所から集められた花々と多くの樹の茂る広大な庭園の中にある宮殿の全景は、ボスポラス海峡の中でも最も素晴らしい眺めの一つです。現在は修復中のため、シャレと庭園のみが一般に公開されています。(月曜・木曜休館)
クチュクスとして知られる
ギョクス宮殿
の名前は、その小さな宮殿の近くを流れてボスポラス海峡へと注いでいる川からとられたものです。19世紀中頃、アブドゥルメジット1世によって建てられ、夏の住居として使われていました。(月曜・木曜休館)
アイナル・カバク・サマー・パビリオン は、もとは18世紀に建てられたもので、その後多くのスルタンによって修復されました。この名前は、1718年に取り付けられたポプラの鏡という、ヴェネチア人から贈られた有名な鏡からつけられました。金角湾に面したこの宮殿は、伝統的なトルコ建築の最も素晴らしい一例です。(月曜・木曜休館)19世紀に造られた
ウフラムール・パビリオン
は、庭園にある菩提樹の木に因んでその名がつけられました。建てられた頃は、ここは町を囲む田園地帯でしたが、今では大都市イスタンブールの中心になってしまいました。
メラシム・パビリオン
は公式行事のために使われ、
マーイエット・パビリオン
はスルタンの側近者や、ハーレムの女性たちが宮殿外に出かけたときの宿泊先としてたびたび使われました。(月曜・木曜休館)
緑濃い丘の上にある
マスラク・パビリオン
は、スルタン・アブドゥルアズィスが狩猟ロッジとして造ったものです。これは、19世紀後期のオスマン装飾様式の建物として特に注目すべきものです。(月曜・木曜休館)。
フロリヤ・アタチュルク・シー・パビリオン
は、歴代の大統領のための夏の別荘です。1935年に建てられたこの建てものは、マルマラ海に向かってT字型に突き出していて、そこでは20世紀初頭の見事な調度品の数々を見ることができます。アタチュルクはここに住んだ最初の大統領です。(火曜・水曜・金曜開館)

アヤ・ソフィア寺院と向かいあうように建っているのが、優雅な6つの尖塔を持つ
スルタンアフメット・モスク
です。1609年~1616年に建築家メフメットによって建てられたこのモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから、
ブルーモスク
という名で広く知られています。夏の夕べには、光と音のショーが繰り広げられます。
巨大なドームと4つの鋭い尖塔を持つ
スレイマニエ・モスク
は、金角湾の西岸にそびえ建ち、イスタンブールのモスクの中でも最も美しいモスクと言われています。1550~1557年にオスマン帝国の黄金時代の有名な建築家シナンによって建てられたこのモスクは、丘の頂上にあって、中庭の四隅にそびえる4つの尖塔がその大きさを際立たせ、どこからでも人目を引きます。内部のミフラブ(祈りのための壁のくぼみ)と説教壇はみごとな彫刻が施された白の大理石でできていて、美しいステンドガラスの窓から差し込む光は鮮やかな色に染められます。
このモスクの敷地内に、シュレイマン、その妻ヒュッレム・スルタン(ロシア名ロクセラーナ)の霊廟があり、その近くにはシナンの霊廟もあります。また寺院内には、4つのメドレセ(イスラム神学校)、1つの医学校、キャラバンサライ(隊商宿)、トルコ浴場、貧しい人々のための厨房とホスピスがあります。
建築家シナンのもう1つのすばらしい建築物、
リュステム・パシャ・モスク
は1561年にシュレイマン帝の娘婿の宰相リュステム・パシャの命によって建てられたものです。みごとなイズニックタイルが、こじんまりとして均整のとれた内部を飾っています。
ファティーフ・モスク
は1463~1470年に建てられ、イスタンブールを征服したオスマントルコ帝国のファティーフ・スルタン・メフメットにちなんで名前がつけられました。ここには彼の廟があります。イスタンブールの丘のもう一方の頂上にあり、巨大なモスクの他に宗教的な建物、神学校、ホスピス、浴場、病院、キャラバンサライ、図書館などがあり、一見の価値ありです。
巨大な
エユップ・モスク
は金角湾の近くの城壁の外側にあります。預言者モハメッドに従って聖戦の旗手を務めたエユップは、コンスタンチノープル陥落の聖戦の最中の670年にここで殉死したといわれています。オスマントルコ帝国がイスタンブールを征圧してから最初に建てられたこのモスクは非常に崇拝され、今も多くの巡礼者が訪れます。1597~1663年に建てられた
イエニ・モスク
は、エミノニュの港を見下ろし、歴史の古いこの都市にやって来るフェリーや観光客を出迎えます。現在では優雅なドームやアーチはたくさんの鳩の住みかとなっています。目を見張るようなイズニックタイルが寺院のバルコニーを飾っています。

聖ソフィア大聖堂は、現在
アヤソフィア博物館と呼ばれていますが、長い歴史の中で疑いの余地なくもっとも素晴らしい建築物の一つといえるでしょう。コンスタンチヌス大帝によって建てられ、6世紀にユスチニアヌス帝によって再建されたこの建物の巨大なドームは、地上55メートル、直径33メートルもあります。ここではたっぷりと時間をとって、この建物の荘厳な静けさに浸り、見事なビザンチン文化のモザイク画を鑑賞することをお勧めします。(月曜休館)
考古学博物館
はトプカプ宮殿の第一庭園のちょうど内側にあります。古代遺蹟の宝庫とも言える展示品の中には、あの名高いアレクサンダー大王の石棺も含まれています。古代オリエント博物館には、シュメール、バビロニア、アッシリア、ハッティ、ヒッタイト文明の遺物が展示されています。(月曜休館)
本来キョシュキュまたはパビリオンとして、15世紀に征服王メフメット2世によって建てられたチニリ・キョシュキュは、現在トルコ装飾タイル博物館になっていて、16世紀の美しいイズニック陶器や、セルジュク・トルコ、オスマン・トルコ時代の見事な陶磁器やタイルが展示されています。(月曜休館)
アヤソフィア博物館同様、
聖イレーネ博物館
ももとは教会でした。実際、これがイスタンブールに建てられた最初の教会でした。4世紀にコンスタンチヌス帝が建築を命じ、後にユスチニアヌス帝によって修復されました。この建物が建っているのは、キリスト教以前の寺院の敷地跡ということです。(月曜休館)
トルコ・イスラム美術博物館
の黒い石造りの建物は、オスマン・トルコ皇帝、シュレイマン1世が、自分の住居として建てたものです。今日、そこには世界でも最古の絨毯と、陶磁器、金属細工品、細密画、カリグラフィー、織物や木工品などの見事なコレクションが展示されています。(月曜休館)
イブラヒム・パシャ宮殿と通りをはさんだ向かい側に、
トルコ絨毯博物館
があります。トルコ中から集められた素晴らしいアンティークの絨毯やキリムが納められています。(日曜・月曜休館)
アヤソフィアの近くには、
イェレバタン・サルヌジュ
(地下宮殿)の名で知られる6紀のビザンチン時代の貯水池があります。336本の重厚なコリント様式の円柱が、巨大な部屋の煉瓦づくりの素晴らしい丸天井を支えています。(火曜休館)
モザイク博物館
には、5~6世紀のビザンチン皇帝の宮殿であった当時の、非常に見事なモザイク道路が残されています。(月曜休館)
カーリエ博物館は11世紀のコーラの聖キリスト教会で、イスタンブールではアヤソフィアに次いで重要な遺跡です。内部の壁はとても素晴らしい14世紀のフレスコ画やモザイクで飾られています。キリストと聖母マリアの一生を題材にしたこれらの美しく彩色された絵は、ビザンチン美術の活力を感じさせます。教会の周囲にある修復された木造の建物では、都市の喧噪から離れ、ゆったりとした雰囲気の中でお茶やコーヒーを楽しむことができます。(火曜休館)
イェシルキョイにある
航空博物館
では、トルコにおける航空の発展の様子を知ることができます。(月曜休館)
軍事博物館
には、オスマン・トルコ軍が実戦で使った野営テントや、武器、戦闘用装備などが展示されています。毎日3時から4時の間に、オスマン時代の軍楽隊(メフテル・タクム)の演奏を聞くことができます。(月曜・火曜休館)
アタチュルクが住んでいたシシュリにある家は、今はアタチュルク博物館となっていて、多くの遺品が展示されています。(土曜・日曜休館)
ベシュクタシュ地区にある
海軍博物館
では、スルタンたちがボスポラス海峡を通るのに使った帝国の櫓櫂船が、オスマン海軍の歴史を物語る興味深い資料とともに展示されています。(月曜・木曜休館)

かつての戦車競技場で、ビザンチン時代の市民生活の中心だった古代の大競技場(ヒポドロム)は、ブルー・モスク正面の広場にあって、現在ここは
スルタンアフメット地区
と呼ばれています。装飾を凝らしたモニュメントのうち、
テオドシウスⅠ世のオベリスク、青銅製の蛇の円柱、コンスタンチヌス大帝の円柱
の3つだけが今も残っています。
この3つのモニュメントの南西側には、大競技場の壁の湾曲した部分の遺跡が見られます。今日この一角は、イスタンブールの歴史的、文化的、観光的活動の中心地となっています。周囲にある木造の家屋、中でも
ソウークチェシュメ通り
にある18世紀の家屋に注目してください。美しく修復された建物は、あるものはプチ・ホテルとして、またあるものはイスタンブールに関する本を集めた魅力的な図書館として新たに生き返りました。
トプカプ宮殿の入り口の所にある
アフメットⅢ世の泉
は、1729年に造られました。深く張り出した庇の下に湧き出している水は、ここに立ち止まった人々の乾いた喉を潤したものでした。この見事な装飾が施された泉は、後期のオスマン様式の優れた作品です。
1828年、マフムットⅡ世は
ベヤズット塔
(高さ85メートル)を、火の見櫓として建てました。現在では、イスタンブール大学構内に立っています。
ボズドゥーアン・ヴァレンス水道橋
(ヴァレンス水道橋)は紀元368年に造られ、ビザンチン時代からオスマン時代まで宮殿内に水を供給していました。現在残っている900メートルの2階建ての水道橋は、旧市街を通る主要道路を跨ぐような格好になっています。
かつて侵攻不可能の城壁といわれた イスタンブールの城壁 (テオドシウス城壁)は、マルマラ海から金角湾まで7キロに渡って伸びています。今までに何度も修復された城壁はテオドシウスⅡ世が統治していた5世紀のものといわれ、ユネスコでは、城壁と城壁囲む地域を世界文化遺産に指定することを宣言しました。
1348年にジェノヴァ人が建てた
ガラタ塔
は高さ68メートルで、金角湾上にそびえています。頂上からは、金角湾とボスポラス海峡の素晴らしい景色が眺められます。夜には、観光客たちは最上階にあるレストランやナイトクラブ、バーで楽しいひとときを過ごすことができます。
ルメリ・ヒサール
はヨーロッパ側にある要塞で、メフメット征服王が1452年、イスタンブール侵攻に先立ってわずか4カ月で造りあげたものです。世界の軍事建築物の中でも最も美しいものの一つです。(月曜休館)
レアンドロスの塔として知られる
クズ・クレシ
はイスタンブールの最もロマンティックなシンボルの一つです。初めは12世紀にイスタンブール港の入り口にある小さな島に造られましたが、現在の建物は18世紀に建て直されたものです

イスタンブール・ボアズ(ボスポラス海峡)イスタンブールに滞在するならば、伝統的で忘れ難い
ボスポラス・クルーズ
を抜きにすることはできないでしょう。これはアジアとヨーロッパを隔てて蛇行するボスポラス海峡をめぐる船旅です。海峡の沿岸には過去と現在、そして絢爛豪華さとシンプルな美しさとの素晴らしい対比を見ることができます。岸辺近くにはヤルと呼ばれる木造の家屋が立ち並び、すぐ隣には近代的なホテルがそびえたち、大理石の宮殿と飾り気のない石の砦が隣りあって並んでいるかと思うと、優雅なヨーロッパ人居住区の隣に小さな漁村があったりするのです。
ボスポラス海峡を楽しむ最良の方法は、沿岸に沿ってジグザグに走る定期航路船に乗ることです。エミノニュで乗船し、海峡のアジア側とヨーロッパ側に交互に止まっていきます。往復しても大した料金ではなく、所要時間は6時間ほど。プライベートな船旅が希望なら、日帰りまたは夜のミニ・クルーズを専門に扱っている代理店をあたってみてもいいでしょう。
海峡クルーズの行く先には、まず壮麗なドルマバフチェ宮殿、起伏した緑深い公園、ユルディズ宮殿のインペリアル・パビリオンなどが次々と姿を現してきます。公園の端に見えてくるのはチュラーン宮殿で、現在は修復され立派なホテルとなっています。1874年にスルタン・アブドゥラズィスによって改装されたこの建物は、ボスポラス海峡沿いに
300メートルに渡って伸びていて、装飾を施された大理石の正面玄関には水面のさざなみが写っています。
さて、次の停留地はオルタキョイです。ここでは、日曜ごとに芸術家たちが集まって、街角のギャラリーにそれぞれの作品を展示しています。通りでおいしいものをちょっとずつ試食して歩くように、色んな人の楽しい作品を見て回ることができます。オルタキョイでは、教会、モスク、ユダヤ教の礼拝堂が、何百年もの間、隣りあって存在してきました。これは、トルコの政教分離政策と寛容さのおかげです。イスタンブールの伝統的な建物を上から覆うように架かっているボスポラス大橋は、アジアとヨーロッパを繋ぐ世界でも最大級の吊橋です。
美しいベイレルベイ宮殿は、ちょうど橋を過ぎたあたりのアジア側に位置しています。宮殿の後ろ側にはイスタンブールで最も高い場所、チャムルジャ・ヒルがあります。ここへは車でやってきて庭園の美しさに感嘆するのもいいし、イスタンブールの素晴らしい景色を眺めるのもいいでしょう。
対岸のアルナウットキョイ地区にはオスマン時代の木造邸宅があって、隣接するベベック地区にある現代的な集合住宅と対照をなしています。そこから数キロ離れたところに、まるでイスタンブールの見張り番のように海峡をはさんで向かい合う、ルメリ・ヒサールとアナドル・ヒサールの2つの要塞が建っています。時にクチュクス宮殿として知られるギョクス宮殿はアナドル・ヒサールの隣にあって、アジア沿岸の景色に華を添えています。2つの大陸を結ぶ2番目の橋、ファティフ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスポラス大橋)は、ちょうどこの2つの要塞を跨ぐように架かっています。
ヨーロッパ側にあるドゥアテペ・ヒルからは、この大橋とボスポラス海峡の全景を見ることができます。ドゥアテペの丘を下ると、美しいエミルガン公園があり、春になると色とりどりのチューリップがいっせいに咲き揃います。向かいのアジア側にはかつては漁師町だったカンルジャ地区があり、現在ここはイスタンブールの裕福な人々に人気のある住宅地となっています。海峡沿いのレストランやカフェでは、あの有名なヨーグルトが人気の的です。
カンルジャ、チュブクルといった地区を過ぎるとすぐ、人々の憩いの場、ベイコズ・コルス(アブラハム・パシャの森)があって、カフェやレストランでは、素敵な眺めと澄んだ新鮮な空気を楽しめます。タラビヤ湾のヨーロッパ側では、港に繋がれたヨットが波に揺れてまるで踊っているようにみえます。
タラビヤからサルイエール、ブユックデレといった魅力的な郊外へと続く海岸沿いは、居酒屋やフィッシュ・レストランがぎっしりと並んでいます。サルイエールにはイスタンブールで一番大きな魚市場があり、またミルク・プディングやボレックと呼ばれるペストリー類など、たくさんのおいしいものでも有名です。サルイエールを少し過ぎると、狭かった海峡の幅は広くなり、ここでボスポラス海峡は黒海の中へと吸いこまれるように消えていくのです。

ハリッチ(金角湾)角の形をしたこの入り江は、ヨーロッパ側イスタンブールを2つに分けています。世界でも有数の天然港の一つであるため、ビザンチン帝国やオスマン帝国の海軍や海運業の利権などがここに集中しました。現在では、沈みゆく太陽が水面を黄金色に染める海岸沿いに、美しい公園や歩道が連なっています。
金角湾に向かう途中のフェネール
や、バラット
周辺の通りには、ビザンチン、オスマン時代の木造家屋や教会、ユダヤ教の礼拝堂がたくさんあります。ここフェネールには、因習的な家父長制を守って暮らしている人たちがいます。
その少し先にある
エユップ寺院
は、オスマン時代の建築様式をよく表わしています。糸杉が生い茂る丘の中腹には聖者エユップの墓があり、多くの参拝者たちが祈りを聞き入れてもらおうと願ってここにやってきます。寺院を見下ろす丘の頂上にあるピエール・ロティ・カフェは、静かに景色を楽しむのには絶好の場所でしょう。

イスタンブールは芸術、文化の国際的な中心地です。
国際芸術文化祭
は毎年6月と7月に開かれ、世界中から著名な芸術家たちが集まってきます。これらの催しはほとんど
アタチュルク文化センター
で行なわれています。
クラシック音楽を好む人は、
ジェマル・レシット・レイ・ホール
で演奏を聞くことができます。その他、オペラ、オペレッタ、バレエ映画、コンサート、展覧会、会議など、様々な催しが行なわれています。
イスタンブールにはまた、肩の凝らない娯楽も豊富にあります。ナイトクラブでは、トルコ歌謡から有名なべリーダンスまで、食事をしながら楽しめます。また、イスタンブールは国際的なギャンブル都市でもあり、カジノも数多くあります。
その他、
タクシム-ハルビエ
地区には、最新のディスコ、キャバレー、ジャズクラブなどがあります。
スルタンアフメット地区にはビザンチン、オスマン時代の建物を改装したレストランが数多くあり、楽しい夜のひとときを過ごせるでしょう。
クムカプ
には多くの居酒屋、バー、フィッシュ・レストランがあり、魅力的な地区になっています。ベイヨオール地区の
チチェク・パサジュ
は昔から軽い食事やシーフード料理が有名で、人々が気軽に出かけるところです。
同じ地区のチチェク・パサジュ近くにある
ネヴィザデ
という狭い通りは、トルコの特別料理を食べ、ラクを飲むには最高の場所でしょう。また、ベイリクドゥズにある広大な遊園地、タトゥリヤ・ジュムフリエッティも、訪れたい場所のひとつです。
ボスポラス沿岸でイスタンブールのナイトライフを楽しむ最適の場所は、 オルタキョイ でしょう。さまざまなナイトクラブ、ジャズクラブ、おいしいシーフードレストランやバーがあって、いつでも賑わっています。
エミノニュ に行ったら、伝統的なオスマン時代の衣装を着た漁師たちの乗っているオスマン
様式の船に乗ってみましょう。栄光の時代に思いを馳せ、有名でおいしいフライドフィッシュを味わうのも一興です。

イスタンブールはショッピングのためだけに訪れるてもいいといえるくらい、色んなショッピングを楽しめます。まず、旧市街にある
カパル・チャルシュ
と呼ばれる屋根付き市場(グランドバザール)から始めましょう。狭い路地が複雑に入り組んだこの迷宮のようなバザールには、4000軒以上の店があります。
それぞれの通りの名は、金細工師通り、カーペット商人通り、スカルキャップ(ビロードでできた室内帽)職人通りなど、商いが決められた区画で行なわれていたかつての日々を彷彿とさせます。今でも旧市街の商業中心地であるこのバザールは、無数の店が並ぶ独特のショッピングモールで、ここではどんな好みにも合う品が、妥当な値段で見つかることでしょう。
トルコの特産品といえば、トルコ工芸品、世界に名だたる絨毯、すばらしい手描きの陶磁器、銅製品、真鍮製品、水パイプなどがあげられます。ショーケースの中で光り輝く金の装身具は、通り過ぎる人を眩惑します。上質の皮革製品も、比較的安く手に入れることができます。バザールの中心にある
オールド・ベデステン
は、珍しいアンティークの宝庫で、何か掘り出し物はないかと期待しながら何軒もの店先をのぞくと、きっと探していたものに出会えるでしょう。
エミノニュのイェニ・モスクの隣にある
ムスル・チャルシュス
(スパイス・バザール)では、神秘的な東洋にしばし思いを馳せることでしょう。シナモン、キャラウェイ、サフラン、ミント、タイムなど、ありとあらゆるハーブと香辛料の誘惑的な芳香が、あたりの空気に満ちています。
スルタンアフメット地区は、旧市街のもう一つのショッピングのメッカです。18世紀の
メフメット・エフェンディ・メドゥレセシ
の中にある
イスタンブール・サナトゥラル・チャルシュス
(イスタンブール芸術のバザール)と、16世紀に建築家シナンによって建てられた
ジャフェラーア・メドゥレセ
では、職人が実際に仕事をしている様子を見ることができ、その場で彼らの製品を買うこともできます。
スルタンアフメット・モスクにある
アラスタ
(オールド・バザール)の中のショッピング・アーケードはとても賑わっていて、ショッピングにも観光にも便利な所です。
タクシム・ニシャンタシュ-シュスリ地区の洗練された店は、バザールの乱雑さと好対照をなしています。
イスティクラール通り、ジュムフリエット通り、ルメリ通り
には、トルコの最高品質の織物で作られたエレガントなファッションを扱う一流ブランド店が立ち並び、こころゆくまで品物を眺めることができます。繊細なデザインのバッグや靴だけでなく、美しい装身具もたくさんあります。
アタキョイ
の
ギャレリア・モール
とエティレールの
アクメルケズ・モール
には、イスタンブールの高級ブランド店の支店が出ています。バクルキョイにあるジャローゼル・モールは、ベイヨオールの
アトラス・パッセージ
同様、ぜひ訪れてみたいところです。アジア側にある
バハリエ通り、バウダット通り、キャピトル・モール
でも同様の品物を扱っています。
イスタンブールのにぎやかな蚤の市には、古いものも新しいものも、莫大な数の品物があふれ返っています。 ベヤズット 地区にある サハフラール・チャルシュス と、 チナラルトゥのバザールは、毎日でものぞいて見たくなるところです。日曜日毎に、サハフラールとグランド・バザールの間に立つ蚤の市では、商品は手押し車や毛布の上にむきだしのままで売られています。
ホルホル・チャルシュス には、時代も品質も様々に異なる家具を売っている店が多く集まっています。トプカプ地区に立つ蚤の市や、 ジハンギル のチュクルジュマ・ソカック、 ウシュキュダル の ブユック・ハマム・ソカック、 カドゥキョイ・チャルシュドラウ 地区、そして エミノニュ と タフタカレ の間に立つ蚤の市は、毎日開かれています。 日曜日、ボスポラス海峡までドライブした後に、 ブユックデレ と サルイエール の間に車を止め、また別の活気ある蚤の市をぶらついてみるのもいいでしょう。

マルマラ海に浮かぶ9つの島からなるプリンセス諸島 は、ビザンチン時代の王子たちの幽閉所でした。今日では、夏の間、イスタンブールの裕福な人々が、涼しい潮風と19世紀の優雅な住居を求めて、避暑に来る場所となっています。 ブユック島 は、その中で一番大きな島です。ここでは松林の中で馬車に乗ったり、島の周りにある入り江の海辺でのんびり過ごすこともできます。その他、 クナル島、セデフ島、ブルガズ島、ヘイベリ島 も人気があります。フェリーはヨーロッパ、アジアの両側から定期的に出ています。夏期には、 カバタシュから高速海上バスが出ます。
イスタンブールから25キロ郊外、黒海沿岸のヨーロッパ側の キリオスには長く続く広い砂浜があり、夏の間中イスタンブールからの人出でにぎわっています。ヨーロッパ側の黒海の内陸部にある ベルグラードの森 は、イスタンブール周辺で一番大きな森です。週末になると、木陰でピクニックやバーベキューを楽しもうとイスタンブールから車でやって来る家族連れで賑わいます。また、古代からの7つの貯水池や、天然の泉がたくさんあって、気分をリフレッシュすることができます。オスマン帝国時代に造られたいくつかの水道橋(その中でも16世紀にシナンによって造られたモウーロヴァ水道橋が最もすばらしい)が残っていて、自然の中に厳かな趣を添えています。ケメル・ゴルフカントリークラブの入り口を覆っているのは、同じくシナンの手による800メートルの長さのスルタン・シュレイマン水道橋で、トルコの中では最長のものの一つです。500の厩舎のある乗馬センターでは、引き馬も楽しめます。
イスタンブールから25キロ離れたアジア側の
ポロネズキョイ
は、19世紀にポーランドの移民によって創設されたところです。イスタンブールの人たちは、牧歌的な風景の中で、散策、乗馬、そして最初の定住者の子孫たちが作る伝統的なポーランド料理を楽しみます。
ウシュキュダルから70キロ離れ黒海に面した
シレ
には、砂浜、フィッシュ・レストランやホテルがあり、イスタンブール近郊で最も素敵な休日を過ごせる場所の一つでしょう。観光客に人気のあるシレ・ベジ(涼しげな綿素材の洋服)は、ここで作られています。イスタンブールから38キロの所にある
バイラムオール・ダルジャ・バード・パラダイス
と植物園
はユニークな憩いの場です。この広い公園では、世界中の様々な種類の鳥や植物が見られ、レストランや遊歩道も整っています。
シリブリ 周辺はイスタンブールの人々の夏の別荘地として有名です。ここはイスタンブールから65キロ、休暇を過ごすのに人気の高い大リゾート地で、カジノや、クラシス・ゴルフカントリークラブを含むスポーツジムやヘルスセンター、すばらしい食事の楽しめるレストランまで、あらゆる設備が整っています。ここにある会議場は、休日の仕事には都会の慌ただしさから開放されたいと思うビジネスマンたちに好評です。海上バスの定期便がイスタンブールとシリブリを結んでいます。中でセイリングを楽しめるのは、世界でもここだけでしょう。

イズミット
は
コジャエリ
県の県庁で、イスタンブールと高速道路でつながっています。イズミットはローマ時代にはニコメデイアという名で知られていましたが、現在は豊かな産業都市となっています。サアッチ・エフェンディ・コナックは18世紀の典型的なオスマン様式の館ですが、現在は修復されて民族博物館になっています。ピシュマニエは砂糖の薄い層が幾重にも重なったお菓子で、この地方の特産です。
イズミットの西に位置する
ヘレケ
は、カーペット生産のー大中心地です。この地方のカーペットの美しさと品質の高さは世界中に知られ、イスタンブールのバザールでは最も高値で売られています。イズミットの北、黒海沿岸地域の、特に
ケルペ
や
ケフケン、コバンナズィ
は、美しい砂浜と快適なゲストハウスがあり、訪れる人を魅了します。
イズミットの東にある
サカリヤ(アダパザル)
は、地域の農業と産業の重要な中心都市です。この肥沃な土地にはサカリヤ川が流れ、豊かな果樹園や畑が広がっています。
アダパザルにはアタチュルク民族博物館があり、この地方の工芸品とともに、トルコ共和国の建国の父アタチュルクの遺品が展示されています。ベシュキョプリュ橋は、553年にビザンチン帝国のユスチニアヌス帝によって建設されたもので、全長429メートル、8
つのアーチが連なる美しい橋です。数キロ行ったところに
サパンジャ湖があり、静かなレストランやホテル、別荘が湖岸に立ち並んでいます。
サマン山
の盆地にあるこの保養地は、一年を通してイスタンブールっ子たちでにぎわっています。サパンジャ湖の高地にある
アーリフィエ森
はキャンピングやピクニックには最適の場所で、眼下に見下ろす湖の景色はすばらしいものです。
アルギョル湖
は黒海の保養地
カラス
から内陸に入ったところにあり、どちらも景勝地となっています。
タラクルは古い建物が多く保存されているので、街を散策するのも一興です。
ビレジック
はイズニックの南東にある、緑濃い肥沃なサカリヤ川流域に広がる地方です。その旧市街にはオスマン帝国建設に重要な役割を果たしたシェイヒ・エデバリの大霊廟があります。毎年9月には彼を称えた記念式典と文化的行事が催されます。この霊廟の近くにはオルハン・ガジ・モスクがあります。
ソウット
はその名の意味する柳がたくさんある町で、ぜひ足をのばしてたずねてみたいところです。移住してきたカユトルコ族が最初に定住したのがこの地で、彼らのリーダー、エルトゥルル・ガジの墓が立てられています。9
月には彼を称えた記念式典が行われます。このほかにトルコの歴史の中でも有名な人物の実物大の胸像や、トルコの歴史をたどる民族博物館があります。
古代、ヘレナポリスと呼ばれた
ヤロワ
は、コンスタンチヌス帝の母で、この街を設計したヘレナにちなんで名づけられました。ヤロヴァは今日港町として栄え、また温泉でも有名です。街の南西部に位置する
テルマル
は温泉地区の中心地で、トルコで温泉療法を楽しむには最適です。丘に登れば、眼下に広がる温泉一帯を一望できます。ヤロヴァの博物館は、元は1929年にアタチュルクが建てた夏の別荘で、現在は20世紀初頭のこの地方特有の装飾品が展示されています(閉館日は休日と月曜、木曜日)。
ヤロヴァから西へ17キロほど行ったチナルスクは、美しい海岸を誇る近代的リゾート地帯です。
ニカエア
と呼ばれていた
イズニック
の町は、イズミットの南にあるイズニック湖の東端に位置していて、ローマ時代とビザンチン時代には重要な町として栄えましたが、1078年にセルジュク朝に、続いて1331年オスマン帝国に征服されました。今も小さな街で、ローマ時代の城壁を超えた広さがあるとはおもえない街です。現存する門は
ヶ所で街の中心には聖ソフィア大聖堂の跡があり、325年に開かれた第一回全キリスト教会議に召集された司教や聖職者たちの姿をほうふつとさせます。イズニックは16世紀から17世紀は、非常に優れた陶磁器生産の中心地として栄え、陶磁器はトルコの各地にあるモスクや宮殿の装飾として使われてきました。この街の博物館には近郊の遺跡からの発掘品が展示されています。市街に数ある重要なイスラム建築の中でも、トルコ石のタイルで飾られたイェシル・モスクとニリュフェル・ハトゥン・イマレティは必ず訪れてみてください。じっくりと見物したら湖畔にあるレストランでおいしい料理を味わいながらゆったりとした雰囲気でくつろいでみてはいかがでしょう。

ブルサへ向かう途中にある
イェニシェヒル
には、かわいらしいトルコ特有の民家がたくさん集まっています。18世紀のシェマキ邸は、現在博物館として使われています。
マルマラ海の南西にある
ブルサ
の街は、
ウルダー山
(ミシアのオリンポス山、2443メートル)の斜面にあります。ブルサの名前は、その建設者であるビティニア国の王プルシアスに由来します。後にローマ人が押し寄せ、ビザンチン帝国の支配が続いた後、1326年にオルハン・ガジが征服し、オスマン帝国の初代の首都になりました。そのためここにはオスマン様式の建築物が多数現存しています。
「緑のブルサ」として知られるように、この街には庭園や公園が多く、緑の平原も見渡せ、果樹栽培も盛んです。ブルサは今も昔も絹貿易とタオル製造、そして温泉で有名です。名物料理のイスケンデル・ケバブは、グリルした肉とパンにトマトソースと溶かしたバター、ヨーグルトを添えた料理です。ぜひ試してみてください。クルミの飴がけも名産です。
市内巡りは東部の
イェシル・テュルベ
(緑の大霊廟)から始めます。庭園の中に建てられたブルーのタイルの目にも鮮やかな大霊廟には、メフメット一世のタイル張りの記念碑があります。
道を挟んで立つ1424年建設のイェシル・モスクは、セルジュクとは対照的な新オスマン様式の審美主義が表現されています。近くにあるメドレセ(イスラム神学校)は民族博物館の一部です。
ここらへんで伝統的なティーハウスに立ち寄って休憩してみてはいかがでしょう。一休みした後東へ坂を登り、エミール・スルタン・モスクを通り過ぎ、古い家並みを抜け、ユルドゥルム・ベヤズット(1391年)へ足をのばしましょう。
さあ、今度はジュンフリイェット広場(地元ではヘイケルの名で知られています)に向かいます。アタチュルク大通りを散歩しながら進むとコザ公園で、花壇と噴水の間にカフェテラスがあちこちにあります。公園の向こう側には、コザ・ハン(1490年)と呼ばれる絹生産のための繭が取り引きされる長屋が建っています。
さらに進むと、狭い路地やキャラバンサライ、古書や骨董品を売っているアーケード付きバザール、ベデステンに出ます。コザ公園の反対側にあるのが、1413年に建設されたオルハン・ガジ・モスクで、ブルサでも最も古い宗教建築物の一つです。近くにあるウル・モスクはセルジュク様式で、彫刻が美しくほどこされたクルミ材の説教台と印象的なアラベスク文様が目を引きます。ここでは珍しくシャドゥルワン(お清めのための泉)がモスクの中にあり、12の丸天井でできた屋根の下に存在しています。
ウル・モスクから西に歩くと、ヒサールと呼ばれるブルサでも絵のように美しい一角に着きます。渓谷を見渡す公園の中には、オスマン帝国を設立したオスマンと、その息子でブルサの征服軍を指揮したオルハン・ガジの霊廟があります。トプハネのカフェで一息いれてみましょう。
レッサムラル・ソカク(画家通り)は画家の街で、地元の芸術家たちが通りのあちこちで絵を描いている姿に出くわすでしょう。
ムラディエ広場のユルドゥズ・パーク・ティーガーデンからは、美しいモスクと霊廟が見渡せます。静かな公園の中には、イェシル・モスクと同じ様式のスルタン・ムラト二世モスク(1426年)と、ムラト二世、シェーザーデ・セム、シェーザーデ・ムスタファの墓があり、美しい装飾やタイルが施されています。近くのオスマン・ハウス博物館は、17世紀の建物が保存されており、当時のオスマンの人々の裕福な暮らしぶりを偲ぶことができます。
この他ブルサには、チェキルゲ方向への道沿いに、考古学博物館のある文化公園やアタチュルク博物館など、いくつもまだ面白いところがあります。
チェキルゲ
の西のはずれは、ローマ時代からミネラル分を多く含んだ温泉で有名です。ホテルのほとんどは温泉付きですし、伝統的なハマムもあります。イェニ・カプルジャ(新温泉)は、1552年にシュレイマン大帝の宰相、リュステム・パシャによって建てられたものです。エスキ・カプルジャ(旧温泉)は、ビザンチン時代の浴場跡に建設された最古の浴場です。カラムスタファ・パシャ浴場は、ブルサでも最も良質のミネラル温泉が出ることで評判です。
チェキルゲにある建築物では、モスクやムラトー世の大霊廟、宗教詩人シュレイマン・チェレビの墓が面白いでしょう。カラギョズ記念碑は、そのユーモアぶりからトルコで不朽の名声を得ている、あやつり人形の影絵劇作家カラギョズを称えたものです。
ウルダー
はトルコでも最大のウィンタースポーツのメッカで、さまざまなスポーツが楽しめ、宿泊施設、娯楽施設が充実しています。ブルサから車かケーブルカーわずか36キロと、アクセスも簡単。スキーは12月から5月がベストシーズンですが、この地域は国立公園に指定されている風光明媚で澄んだ大気のおいしい場所ですので、一年のいつ訪れても楽しめます。

バルケシル県はマルマラ海とエーゲ海の両方に接しています。バルケシルは自然に富み史跡の多い街です。
14世紀中頃にベヤズッー一世により建てられたユルドゥリム・モスクは、市内で最古のモスクです。ザウノス・パシャ・モスクは1461年メフメット征服王の宰相ザウノス・パシャが建てたもので、かつては巨大な施設の一部でしたが、現在はそのモスクと浴場だけが残っています。
サアト・クレシ(時計台)は1827年にメフメット・パシャがジェノヴァのガラタ塔を模して縮小してつくらせたものです。1336年建設のカレシ・ベイ大霊廟には、カレシ・ベイとその5
人の息子の記念碑があります。
バルケシルより10キロほどブルサの方向に進んだところにあるのが、2
つの丘に囲まれた美しいデウイルメン・ボアズです。週末や休日になるとたくさんの家族連れでここの見晴台やレストランがにぎわいます。
カラコル
村には風車があり、写真家たちがその美しい景色をシャッターに収めています。古代ペンデラムスと呼ばれた
バンドゥルマ
は、今日ではイスタンブールに次ぐ重要な商業産業港になっています。この街のレストランや喫茶店では素敵な午後を満喫できるでしょう。
ベルクス(キジコス)
はバンドゥルマの10キロ西に位置する街です。カプダー半島の付け根にあるこの古代都市には、ハドリアヌスの寺院や劇場、水道橋が現存しています。
マニヤス湖
に近い
クシュジェネッティ国立公園
は、239種類もの野鳥が生存する鳥類学の地です。毎年、3
百万羽以上の鳥がこの保護地域を通過していきます。野鳥観察には4
月と5
月が最適です。バンドゥルマの13キロ南東のカラジャベイでは、サラブレッドの生産が盛んで、牧場が多くみられます。
かつて古代
エルテカ
として知られた
エルデック
は、バンドゥルマから14キロ北西に行ったところにあります。マルマラ海でもっとも古くもっとも有名なリゾートエリアのひとつで、自然のままの砂浜があり、宿泊施設も豊富にそろっています
マルマラ島
は、かつては
プロコネソス
という名で知られ、ローマ時代は隆盛を極め、ビザンチン帝国、オスマン帝国の時代には、ここで産出される大理石で大いに栄えました。ここの大理石は、帝国の瀟洒な建築物に使われました。
サライラール
村の近くにあるマーブルビーチは、その沖で実際に採れる大理石から由来しています。市内には屋外の博物館があり、ローマ時代やビザンチン時代にまでさかのぼる工芸品や、大理石の採掘の過程を順次追うことのできる採石場を見ることができます。
もう一つのリゾートの島、
トュルケリ(アブシャ)
は、壮観な海岸線と透きとおった海の水がすばらしいだけでなく、ぶどう園とワインセラーでも有名です。
マナストゥール
にはビザンチンの時代のメリイェム・アナ修道院があります。
バンドゥルマより55キロ南西にある ギョネン は、トルコでも有数の温泉町です。ここの温泉はローマ時代にも使われており、もとはローマ浴場の一部だった5世紀のモザイクも残っています。温水は地下500メートルから湧きでて、82℃ほどの温度があります。30キロ北西にある デニズケント の街は、海岸の美しいリゾート地です。
スンドゥルグ は アラチャム山脈 のふもとの森と草原の街で、高級カーペットの産地として知られています。その中でも、 ヤウジベディル の絨毯はもっとも珍重され、使えば使うほど愛着の出てくるものです。
エドゥレミット湾 の周辺もバルケシル県に属していて、国内でも最も美しい海岸線の一つといえます。その透きとおった水と砂浜のまわりには、銀色がかった緑色をしたオリーブ畑が広がっています。 アイヴァルク、ブルハニエ、オーレン、エドゥレミット、アクチャイ、アルトゥノルク は、いずれも風光明媚で、史跡や遺跡に富み、休日をゆったりと過ごすには最適の魅力的な街です。

チャナッカレ
の街は、1200メートルという狭いチャナッカレ海峡の入り口にあります。この海峡は、ヨーロッパとアジアの両方に接するエーゲ海とマルマラ海とを結んでいます。
アジア側のチャナッカレと、ヨーロッパ側のエジアバットと
キリトバヒール
との間には、カーフェリーが毎日行き来しています。良く整備されたチャナッカレ・マリーナでは海峡を巡る船が停泊するので、十分観光することができます。プロムナードに続いているホテルやレストラン、喫茶店からは、港に出入りする船やキリトバヒールの要塞、チャナッカレ考古学博物館を眺めることができます。
イスタンブールを征服したスルタン・メフメット二世は、1451年、海峡のヨーロッパ側のキリトバヒール と対岸のチメンリックにそれぞれ一ヶ所ずつ、海峡を通る船を監視するための要塞を建設しました。現在、 チメンリック 要塞は、チャナッカレの戦いを記念した軍事博物館になっています。
ゲリボル半島歴史国立公園
は、
ゲリボル
、またの名を
ガリポリ
で戦死した50万人の兵士たちを称えて設立されたものです。1915年、トルコ軍の総指揮者ムスタファ・ケマルは、この地域に残っていた連合軍の追放作戦に成功しました。
公園には、記念館と記念碑、墓地が建てられ、また自然の生み出した絶景である
アルブルヌの岸壁
や
トゥズ・ギョル(塩の湖)
があります。この歴史的な戦いで勇敢に戦って死んでいった兵士たちは、美しい緑の丘と砂浜と青い海のあるこの場所で安らかに眠っています。この公園のもつ特別な意味を知れば、トルコ国民の心を感じずにはいられないでしょう。
トルコ最大の島、
ギョクチェアダ
は、原始のままの入り江に囲まれています。連なる丘には、松林とオリーブ林の色彩が対をなし、聖なる泉と修道院が点在しています。チャナッカレからカバテペの間には、フェリーが定期的に運行されています。8
月にはカラフルな地元の市が開かれ、島の人々と観光客たちが集まってきます。
ボズジャアダ島に船で近づくと、ベネチア風の城が目に留まるでしょう。この城の下には、海辺の散歩道に連なる白い家々やレストランがきらめいています。この島はワインが水のように豊富で、街を巡るとたくさんのぶどう園やワインセラーが見られます。
アヤズマ
や
ポイラズ、イウデリック
は美しい砂浜で有名です。
トゥルバ(トロイ)
は、プリアム王、ヘクトル、パリス、そして美しいヘレンの登場するホメロスの物語で有名です。考古学者らの発掘により、9
つの異なる時代の集落と、城壁や家屋の基礎、寺院や劇場が発掘されました。伝説のトロイ戦争を記念して、トロイの木馬が立てられています。古代
アレクサンドリア・トロアス
の港は紀元前
3
世紀に建設されましたが、聖パウロは2
度ここを訪れ、さらに3度目の伝道の旅ではここからアッソスへと向かいました。
アッソス(ベーラムカレ)
のアクロポリスは海抜238メートルの地点にあり、紀元前6世紀にはここにアテネ神殿が建てられました。過去の栄光を称えるとともに、ビガ半島とエドゥレミット湾の守り神として、ドリス様式のアテネ神殿は復元されました。
エドゥレミット湾を見渡せる高台に上ったら、ぜひ月明かりが神殿の廃虚に降り注ぐまで、あるいは夜が明けて暁がアクロポリスを白く染めるまで待ってみてください。天国のようなこの地が選ばれた理由が、きっとわかることでしょう。
海から続く段丘の上に、アゴラ(集会所)と競技場、劇場があります。アクロポリスの北端からはモスクや橋、要塞が見えます。これらは14世紀、オスマン帝国のスルタン・ムラトー世によって造られました。眼下に広がる古代の小さな港は、美しく牧歌的です。アッソスはトルコにおける芸術の中心地としてにぎわい、親しみやすく自由奔放な雰囲気にあふれ、数年後にまた来たくなるような思い出に残る街です。
ベーラムカレの西25キロにある
ギュルプナール
には、紀元前2世紀のアポロン・スミンテウス神殿が現存し、古代、この村は
クリス
と呼ばれてました。ジグザグの海岸線沿いにギュルプナールから田舎道を15キロほど西に進むと、
ババカレ
に着きます。海にそそり立つ断崖絶壁の上に、家々が段々に重なるすばらしい光景が目を引くことでしょう。
ビガ
の町の名は、ビガ半島にちなんでつけられました。ここは公園の多い街で、伝統的な様式の家々を眺めるのも一興です。そこからは
カラビガ
や
シャーメレック
の海岸が近く、手頃な値段の宿泊施設も容易に見つかります。カラビガは古代、神の名にちなんで
プリアポス
の名で知られたため、ここにはいくつかの宗教的な団体があります。
チャン
は陶器と硫黄質の温泉が有名で、ここのお湯は肝臓や腸、泌尿器官系の病気に効くと言われています。近くのキュルジュレルとキラズルにも温泉があります。
カズ・ダー ( イダ山 、1774メートル)は、チャナッカレの南端に位置する山で、ふもとのカズ・ダー国立公園は景色がすばらしく緑豊かで、温泉もいくつかあります。国立公園への北の入り口にあたる バイラミチュ とエヴジレールには、大きなキャンプ場があります。チャナッカレから60キロのバイラミチュには、18世紀の美しいハディモグラリ邸(オスマン様式の屋敷)があり、民族学博物館が併設されていま。
マルマラ海の反対側の北海岸には、重要な商業港テキルダーがあります。プロムナードのある近代的でおしゃれなこの街は、砂浜の海岸線が続き、一帯にはひまわり畑とぶどう園が広がっています。建築物では、シナンが設計したリュステム・パシャ・モスクが最も有名で、シュレイマン大帝の宰相が1554年に建てたものです。考古学民族博物館にはこの地方の工芸品が多く展示されています。
ハンガリー国民の自由獲得のために戦ったハンガリー皇太子ラコクジー・フェレンチ二世(1676年-1735年)が、晩年を過ごした家は、現在ラコクジー博物館になっています。ナムク・ケマル記念碑は、トルコの国民的詩人ナムク・ケマル(1840年-1888年)を称えて、この生誕の地にたてられました。テキルダウから60キロほど西には、ワインの街、シャルキョイとミュレフテがあります。美しいぶどう園が地域全体に広がり、毎年、市主催のワインフェスティバルが開催されます。

テキルダーの北、ギリシャとトルコの国境にあるエディルネは、かつてはオスマン帝国の首都であったこともあり、18世紀にはヨーロッパの
7
大都市のひとつに数えられました。歴史あるこの優美な都市は、トゥンジャ川とメリチュ川が合流するあたりのポプラ林の平原に位置し、イスタンブ[ルや東部の都市を訪れる観光客の出発地点ともなっています。
エディルネ地域一帯の人々の起源はマケドニアがここを支配していた時期にまでさかのぼります。ローマ帝国のハドリアヌス帝が街を再建し、自らの名をとりハドリアノープルと名づけました。ローマ帝国が分裂すると、ビザンチン帝国が取って代わり、1361年にスルタン・ムラト一世に征服されました。
エディルネは100年近くオスマン帝国の首都の座を占めていたので、歴史的、建築学的にみて重要な建物がたくさんあります。この街はまさに、モスクや宗教施設、橋やオールド・バザール、隊商館や宮殿のある、生きた博物館なのです。
セリミイェ・モスクは街の中心の丘の上に立っています。スルタン・セリム二世(1569年-1575年)の令で建設されたこのモスクは、シナンの設計による典型的なオスマン様式で、オスマン朝時代の技術の高さとこの建築家のたぐいまれな能力が如実に現れています。
エスキ・モスクは、1403年から1414年にかけてメフメットー世により建設された、エディルネで最古のオスマン様式の建築物です。白い大理石の正門は建物の石材や煉瓦と鮮やかな対比をなし、内部はコーランの一節を詠んだアラビア文字で飾られています。
1438年から1447年にかけてムラト一世により建てられたウチュ・シェレフェリモスクは、シナンによるオスマン様式建築の全盛期を感じさせるモスクで、それまでの束縛からの解放と、発達した高度な技術的な進歩の跡が大いに表現されています。北西にあるミナレットには、その名前の由来ともなっている3つの回廊があり、セリミイェ・モスクが登場するまでは最も高いミナレットとして知られていました。
15世紀の末、ベヤズット二世は、建築家のハイレッティンにモスクやダリュッシュシファ(病院)、メドレセ(イスラム神学校)、台所、貯蔵庫のある集合施設をエディルネに建設するよう依頼しました。モスクは正方形で、一つの深い丸天井と100個以上の小さな丸天井に覆われています。建物の中で最も重要なのがダリュッシュシファで、当時は、斬新で人間味のあるデザインの近代病院として注目されました。
エディルネのカレイチ地区は、家々の間を細い道がくねくねとめぐり、今でも中世の面影をそのままに残しています。小さなレストランやカフェにも面影がしのばれます。
シナンは、ソコルルやタフタカレ、メジット・ベイ、ベイレルベイ、ガジ・ミハル・ハマムといった有名な浴場をエディルネに造りました。アフメト・パシャやリュステム・パシャのキャラバンサライ(1561年)も彼の作品です。
リュステム・パシャのキャラバンサライは修復され、今はすばらしいホテルになっています。15世紀初頭のベデステン(古書や骨董品を売っているバザール)は、今もエディルネの中央市場として機能しています。トゥンジャ川や、メリチュ川には、美しいオスマン朝の橋がたくさんかかっています。
エディルネには多彩な伝統行事が残っています。トゥンジャ川が分離する地域の牧草地は、毎年夏になるとエメラルドグリーンに輝き(
サライチ
と呼ばれる)、
クルクプナル
・レスリング大会が開催されます。油を塗ってつるつるすべる競技者たちの体が、勝利を目指し激しくぶつかり合う様子は壮観で手に汗を握ることでしょう。
市内の食料品店の店先には、この地方の特産の羊のチーズの白い固まりが並んでいます。この街のもう一つの名物、ハルダーリイェは、ぶどうジュースにマスタードとマジパンをミックスした飲み物です。その他特産品には、香水入りの石鹸、焼き物のポットや、わらのバスケット、地元の女性たちの手作りの刺繍にも心奪われることでしょう。
考古学民族学博物館は、この地域の先史時代からビザンチン時代までの歴史を知ることができ、オスマン帝国後期の衣服も展示されています。
トルコイスラム美術館では、オスマン建築の細部やカリグラフィー、古写本やコーラン、武器やガラス製品、皇帝が戦闘で使ったテントなどが展示されています。
エーゲ海のサロズ湾へぬける道のりにあるウズンキョプリュには、エルゲネ川にムラト二世が建設した趣きのある橋(1444年)があります。174もあるアーチは、高いもので28メートルあり、全長は1354メートルにもなります。サロズ湾は気候が温暖で景色も美しく、休暇を過ごすには格好の場所です。湾の北端にはイブリジェとエリクリの美しい海岸があり、手頃なホテルや民宿がたくさんありま。
エネズ(アイノス)
は古代には重要な港でしたが、現在は海岸線から3.5メートル入ったところに位置しています。この街の起源は紀元前12世紀までさかのぼり、古代ギリシャ時代、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン朝の時代を通じて、重要な街でした。
この街はキメ人が建設し、西アナトリア文明の植民地として知られていましたが、現在は屋外博物館として残されています。エネズ城は歴史の節目で何度も改築されてきた城で、一度は訪ねてみたい所です。6
世紀に建てられた教会や彫刻された墓、美しい海岸もあります。土地の人は親切で、エネズでの途中下車は旅の思い出をふやしてくれるでしょう。
ユルドゥズ(イストランジャ)山
は、クルクラレリ県との県境にあります。青い山脈に趣のある家々が点在し、静かな田園風景に心洗われます。クルクラレリで最古のフズルベイ・モスクは1383年に建てられました。モスクの境内にはバザールがあり、近くにはフズル・ベイの寄付で建てられたハマムがあります。
クルクラールの丘には、ムラト一世率いるオスマン軍がこの地域を征圧したとき、ここで命を落とした40人の兵士たちをまつった18の塔が印象的な14世紀クルクラール記念碑が建てられています。考古学博物館にはこの地域から出土した発掘物が展示されています。
クルクラレリ県は黒海にも面し、海岸では魚料理が楽しめます。クルクラレリから東に98キロ離れた
イーネアダ
は、砂浜の海岸線とユルドゥズ山脈に挟まれた街です。
クユキョイ(ミドゥイェ)
もリゾート地で、快適な宿泊施設がそろい、美しい中世の町並みが残っています。この街も街を取り囲む城壁もビザンチン時代のものです。
エディルネ、イスタンブール間に位置する リュレブルガズ の町には、シナンが1570年に設計した美しいソコル・モスクがあります。近隣のババエスキにもシナンの造ったセディ・アリ・パシャ・モスクがあります。
ヴィゼ(ビジア)はビザンチン時代の主要都市で、この時代に建てられたキュチュク・アヤソフィア教会と城を擁しています。
北へブルガリアへ向かう場合は、緑の平和の街 デレキョイ に立ち寄ってみてください国境への最終地点になります。

荒涼とした大草原というトルコのイメージをお持ちの方は、湿度が高く青々とした緑 が溢れる黒海沿岸に驚かれるかもしれません。ブルガリアに接しているヨーロッパ側 の国境線からグルジア側の国境にかけては、松林が山を覆い、低地や谷ではみずみず しい作物や穀物が豊かに実っています。長い海岸線に沿って、人の少ない美しいビー チが続き、日光浴や海水浴、リラクゼーションに最適です。
春になると、黒海東岸の丘にあるなだらかな牧草地は可憐な花で覆われます。この地域の漁村や山村は昔ながらの伝統的な木造建築の様式を守っています。湿気の多い気候と肥沃な大地のおかげで茶、タバコ、とうもろこし、ヘーゼルナッツなどさまざまな作物が収穫できます。
サムスン地方のイキステペにある初期青銅器時代の集落の発掘により、この地域に古
代から集落があったことが明らかになりました。ヒッタイト人、ミレトス人、フリギ
ア人そしてホメロスによるとアマゾネスまでもがこの沿岸に集落を作ったということ
です。アレキサンダー大王もまた、世界征服の途中でこの地域を支配下においていま
す。また、後にはローマ帝国とビザンティン帝国の一部ともなっています。15世紀に
なるとオスマン帝国のスルタン、メフメトII世の支配下でこの地域はもっとも繁栄し
た時代を迎えます。
黒海は旅行者にとって交通の便もよく、さまざまな価格帯のホテルやレストランが揃
っています。

クルクラレリ地方
は
ユルドゥス(ウストランジャ)山脈
によって二分されています。青々とした山に古風な家々が点在する風景は、のんびりと安らかな気持ちにさせてくれます。クルクラレリの町にある最も古いモスク、フズルベイモスクは1383年に建てられたもので、モスクの総合施設には市場もあります。近くにはフズルベイによってハマムも建てられています。
クルクラル丘にある18本の柱が印象的な14世紀のクルクラル記念碑は、ムラットI世の命によりオスマンがこの地を征服した時に命を落とした40人の兵士を偲んで建てられたものです。考古学博物館には地元からの発掘品が展示してあります。
エディルネとイスタンブール間の街道上にあるリュレブルガスのソコルルモスクは、1570年に建てられたシナンの傑作です。近くの
ババエスキにあるジェディッドゥアリパシャモスクにもシナンによる建造物があります。
ヴィゼ (ビジア)はビザンティンの重要な拠点であり、ビザンティン時代に建てられたキュチュックアヤソフィア教会があります。
ブルガリアに向かって北に旅をするなら、国境沿いにある緑溢れるのどかな
デレキョイ
の町に立ち寄るのもいいでしょう。
クルクラレリの黒海沿岸では海水浴を楽しんだり、美味しい魚料理を味わうことがで
きます。クルクラレリから98km東にある
イーネアダ
は、砂浜とユルドゥス山脈に挟まれた町です。
クユキョイ(ミディエ)
も中世からの町並みを楽しめるリゾート地で、宿泊施設も整っています。町と城壁はビザンティン時代につくられたものです。ミディエで一番の見所は歴史ある聖ニコラス修道院です。
イスタンブールからわずか35km、同じくヨーロッパ側の黒海沿岸にある
キルヨス
には砂浜があり、ホテル、モーテル、キャンプ施設も充実しています。
ボスポラス海峡を挟んでアジア側にある
シレ
には長い砂浜があり、ジェノバの城の遺跡から望むその情景は多くの旅人を魅了しています。レストランや歓楽街が有名で、週末にはイスタンブールからやって来る人々で賑わいます。綿のブラウスやシャツ(シレ ベジ)が特産品です。
元々はポーランドからの流刑地としてポーランドの王子によって作られた
ポロネズキョイ
は、今ではゲストハウスや地元の特産品が楽しめるレストランが点在するリゾート地となっています。海岸から内陸に入るとなだらかな丘とのどかな森があり、乗馬には最適です。
黒海沿岸の川辺の町
アーワ
は、美しい風景に囲まれ、休日にキャンプを楽しむには理想的です。
ケルペ
、
ケフケン
、
カラス
は、アーワの東にある昔ながらの漁村です。感じのよいレストランと美しく澄んだ水を求めて旅行者が絶えることはありません。

アンカラからイスタンブールへの途中にある内陸部の
ボル
は地域の重要な拠点であり、14世紀のウルモスクと近代的な温泉施設を誇っています。ボルの考古学民族誌学博物館には、ヒッタイト、ローマ、ビザンティン、セルジューク、オスマン時代の工芸品が展示してあります。ボルの南西、有名なリゾート地である
アバント湖
は標高1500mにあり、美しい山々に囲まれています。イスタンブール市民は新鮮な空気とエクササイズを求めてしばしばこの湖を訪れます。
キョロール山脈
にある
カルタルカヤ
は、トルコで最も有名なスキーリゾートの一つです。夏になるとギョルジュック湖でピクニックも楽しめます。溜息の出るほど美しい
イェディギョルレル(七つの湖)国立公園
はボルの北にあります。
近くの
メンゲン
の町は食べ物が美味しいことで知られ、毎年8月にはトルコの伝統料理を題材にしたシェフ・フェスティバルが開かれます。
古くは
プルサ・アドゥ・ヒピウム
と呼ばれていた
コヌラルプ
周辺では、ローマとビザンティン時代からの工芸品が今も作られています。これらの工芸品は地元の博物館に展示されています。多くの遺跡の中でもローマ時代の劇場は見逃せません。
アクチャコジャ
には美しい砂浜、心地よいゲストハウスとホテルがあり、人気のあるリゾート地です。また、町の近くのヘーゼルナッツの林の中にあるジェノバの城の遺跡を探検することもできます。
アラプル
はセイリングやサーフィンをはじめとするウォーター・スポーツには理想的です。町からは長い砂浜が東西にのびています。
古代には
ヘラクレア・アドゥ・ポントゥス
と呼ばれていた
エレーリ
は、ビザンティン時代の城に隣接した丘の上にあります。春にはトルコ名産のいちごの香りが漂い、食欲をそそります。エレーリという名前の由来は、11世紀に頭の3つある地獄の番犬ジェルベルスを捕まえた神話上の半神ヘラクレスに由来しています。クセノポンによると、ジェルベルスはエレーリ郊外の
カワクデレシ
の近くにある
ジェヘンネマース (地獄の入り口)洞窟に住んでいたと言われています。

石炭生産の中心地である
ゾングルダック
は、黒海の重要な港です。町の東側の風光明
媚な道路は、
コプス
と
ウズンクム
に続いています。これらの町ではティー・ガーデン
やレストランで贅沢な午後が過ごせます。
木工品に興味のある方はゾングルダックの50km南東にある小さな町、
デウレック
で有
名な木製のステッキを買うのもいいでしょう。
サフランボル
の南西10kmにある
カラビュック
はトルコで最も重要な産業の拠点であり
、鉄と金属産業で知られています。カラビュックの近くにある
チャムルク
公園は、休
息をとるのに最適です。公園全体に松林が点在し、ティー・ガーデンやレストランも
あります。自然を楽しむには最適の場所です。
内陸をさらに東に進むとサフランボルがあります。ここでは、時代をさかのぼり、伝統的な建造物が並ぶトルコで最も美しいこの町の"旧世界"スタイルを楽しむことができます。サフランボルは昔ながらの家並みで知られ、その珍しい建築デザインと建造物はトルコでも他に例を見ないものです。特にカイマカムラールハウス、アイグロールハウスは興味深く、アスマズラール・ハウスル・コナックは修復後トルコ・ツーリング・オートモービル・クラブによってホテルとして運営されています。また、メクテプチレルハウスやハジュ
メミシュレールハウスも見逃せません。パシャハウスも修復され、カフェとペンションに生まれ変わっています。
丘の上の城からは美しい町並みが見おろせます。ジンジ宿とハマム(17世紀のトルコ風呂)、イゼットメフメットパシャモスクと図書館(18世紀)、17世紀のキョプリュリュモスクも見所です。また、ダーデレンモスク(18世紀)、カチャックモスク(19世紀)も一見の価値があります。この町はユネスコによって国際文化地区に指定されています。サフランボルという名前は19世紀にこの地域に点在していたサフラン畑に由来しています。今日では、サフラン畑はサフランボルから20kmの
デウトバス
村に移動して伝統を引き継いでいます。
サフランボルを発つ前に、職人の技を見ながら買い物ができるアラスタ(旧市場)にも
忘れずに立ち寄ってください。また、サフランボルのロクム(トルコのゼリー菓子)は
、他にない独特なものです。ぜひ味わってみてください。
カラビュックの南36kmの
エスキパザール
には、古いオメール
ベイレールの邸宅があ
ります。現在では修復され、美しく飾られた天井が有名です。
木造の家屋の並ぶ小さな町、
バルトゥン
では毎年春にいちご祭りが開かれます。ここ
には、クローディアス皇帝の統治時代に作られたローマの街道の遺跡が今でも残って
います。バルトゥン川でボートに乗るのもいいでしょう。
インクム
の近くは砂浜、レ
ストラン、ゲストハウスのある休暇村になっています。

黒海沿岸で最も美しい町の一つである
アマスラ
は、ミレトス人によって作られた紀元前6世紀頃には
セサモス
と呼ばれていました。この町は2つの入り江に分けられた半島にあります。東側は海水浴に最適です。崖の上にはビザンティンの要塞の城壁がそび
え、城壁の中には今ではファティーフモスクとなっている古い教会があります。
共同墓地はローマ時代のものです。アマスラの歴史的遺産は考古学美術館に展示されてい
ます。チェキジレール通りでは手彫りの木彫品を買うことができます。
海岸線を東に進むと、
チャクラズ
に着きます。ここは、典型的な漁村で、美しいビーチと心地のいい宿泊施設やレストランがあります。チャクラズとイネボルの間の険しい山腹を走る曲がりくねった道路からは素晴らしい景観を楽しむことができます。
チャクラズの先にある
クルジャシレ
は漁船の製造で知られています。28km先の
ジデ
には心地よいホテルと美しいビーチがあり、骨休めには最適です。ギデロス湾を見ているとまさに夢見心地が味わえます。
青々とした緑の中にある典型的な黒海の町、
イネボル
には伝統的なトルコの建築物が数多くあります。イネボルの東にある
アバナ
は、休暇を過ごすには絶好の場所です。内陸部の美しい森の中にある
カスタモヌ
は地域の中心地で、12世紀のビザンティンの城、13世紀のアタベイモスク、1356年のイブニネジェジャールモスクなどの重要な建造物が今も残っています。考古学民族誌学博物館にはこの地域の工芸品が展示してあります。
リワ・パシャ邸宅博物館にも地元の民族誌学的な工芸品があります。近くにある
エウカヤ
の町には、紀元前6世紀に建てられた墓碑があります。カサバ村の14世紀のマフムットベイモスクには、トルコの至る所で見られる優れた木彫品が展示してあります。ダダイを経由してカスタモヌの約41km西にある
チョムレクチレール村
には、伝統的な木造家屋が並び、乗馬に適したコースもあります。
カスタモヌから63km南に進むと、
ウルガズ国立公園
に着きます。この美しい公園にはウルガズ山脈があり、設備の整ったスキーセンターもあります。公園の東、
デウレス川
と
クスルルマク川
沿いの
トスヤ
では、辺り一面に水田が広がっています。
プナールバシュ地区 (カスタモヌ地方の北西部)にあるウルガリニ洞窟はトルコで最も大きな洞窟の一つです。ここはオフロードのトレッキングや探検には最高の場所です。

黒海東岸
シノップ
は黒海で最も美しい天然港の一つです。この町は7世紀にミレトス人の入植者によって作られ、3世紀の哲学者、犬儒学派のディオゲネスの生地でもあります。町の要塞と寺院はこの時代のセラピスに捧げられたものです。考古学博物館には美しい金のイコンが展示してあります。18世紀のアスラン・トルンラール邸宅博物館には、民族誌学的な工芸品が展示されています。その他の重要な建造物としては、13世紀のアラエディンモスクとアライエ神学校があります。
魚河岸沿いに並ぶシーフード・レストランでは、新鮮なシーフードを味わえます。色鮮やかな船が波に揺れ、雰囲気も最高です。シノップはまた、伝統的な航海用の木彫品でも有名です。海際のホテルや休暇村など、さまざまな価格帯の宿泊施設があります。
35km南西の山間部には、
グスフンドゥック
と
ボザールムット
のヤイラス(高原)があります。標高1,350mのこれらの高原には伝統的な生活様式を垣間見ることのできる避暑地があります。
海岸沿いを40km東に行った半島には、公園とビーチに囲まれた
ゲルゼ
があります。さらに海岸沿いの道を進むと、美しい砂浜のある漁村、
ヤカケント
に着きます。海側の斜面にある
チャムギョリュ
の広大な森林にはキャンプ施設やゲストハウス、レストランがあります。
ここから内陸部に向かうとタバコ、キャビア、温泉で有名な
バフラ
があります。13世紀のハマム、15世紀のモスクと神学校の総合施設には一見の価値があります。バフラの7km北東にある初期の青銅器時代の古代遺跡、
ウキステペ
では、黒海沿岸地域の歴史を知ることができます。宝石をはじめとする工芸品はサムスンの博物館に展示されています。

サムスン は近代の産業都市で、何世紀にも渡りこの地域の主要な港町となっています。近隣地域で作られた産物は、毎年サムスン貿易産業フェアが開かれるこの都市から出荷されます。サムスンは、1919年の5月19日にアタチュルクがアナトリアの防衛軍を組織するために上陸した際に、トルコ独立戦争の中心地となった都市です。アタチュルク博物館にはこの戦争に関するさまざまな遺品や書類が保存されています。
市内の公園には、共和国の創設者を讃えた騎馬像がそびえ立っています。14世紀のパザールモスクと19世紀のビュユックモスクは異なる2つのトルコの建築様式を反映しており、興味をそそられます。考古学博物館はウキステペからの出土品に加え、古代のサムスンの呼び名であったアミソスと
ドゥンダルテペ
の工芸品が展示されています。
小さな港町である
ユンイエ
は黒海東岸部で最も素晴らしい保養地の一つで、美しいビーチとキャンプ施設が自慢です。18世紀の珍しい市庁舎も見逃せません。
オルドゥへの道沿いにある
ファトゥサ
の先の
チャムブルヌ岬
には、現在は美術館となっているビザンティン時代のジュイソン教会の遺跡があります。伝説では、アルゴナウテースが金の羊毛を求めてこの地に降り立ったと言われています。オルドゥまでの風光明媚な50kmの道のりの間には、美味しい紅茶を出すシーフード・レストランが点在しています。また、
ヤルキョイ
の特産品である巻き貝も非常に美味です。
バビロニアへの出征から帰還した「クセノポンの1万人の兵士たち」の生還者たちは
オルドゥからアナトリアを発ちギリシャに退却しました。今日では、ここは緑の丘の
麓に広がる美しい港となっています。現在は民族史学博物館となっているパシャオー
ルコナック(邸宅)では、19世紀の裕福な権力者の暮らしぶりを伺い知ることができま
す。
オルドゥの周辺はヘーゼルナッツの主要な生産地であり、毎年9月にはゴールデ
ン・ヘーゼルナッツ・フェスティバルが開催されています。チョコレート・ナッツ・
キャンディーをぜひ味わってみてください。
町から2kmの地点にある18世紀の教会や
ギュゼルヤル
のこじんまりとしたビーチも訪れる価値があります。58km南にある標高1,250mの
チャムバシュヤイラ(高原)
からは美しい眺望を楽しむことができます。標高2,000mの
ケイファランヤイラ高原
も地元の人々に人気の避暑地です。
ギレスン
にあるビザンティンの要塞の遺跡からは素晴らしい景観が臨めます。古くはジェラソスと呼ばれていたこの町からローマの将軍ルクルスがヨーロッパに向けて初めてサクランボの木を輸出しました。現在は博物館になっている18世紀の教会も一見の価値があります。
町の郊外にある
ギレスン・アダス(ギレスン島)
はアマゾネスに支配されていたと言われており、この説を裏付ける寺院の遺跡が今でも残っています。
また、毎年5月には
アクス
芸術文化フェスティバルが開催されています。
おきまりのコースから外れたい場合は、山間にある
ベクタシュ高原
や
キュムベット高原
を探検してみるのもいいでしょう。
ギレスンとトラブゾンの間、緑の繁る山と黒海に挟まれた
ケシャップ、
ティレボル、
ギョレレ、
ワクフケビル、
アクチャアバット
では観光産業が盛んになりつつあります。
ギョレレでは、潜水艦の形をした肉とチーズの「ピタス」を味わうことができます。ワクフケビルではバター、アクチャアバットではキョフテ(ミートロール)が有名です。

この地域の主要都市である
トラブゾン
は紀元前7世紀にミレトス人の入植者によって作られました。この都市はコンスタンティノープルの陥落後コムネネ帝国の拠点となり、1461年にオスマンに征服されるまでビザンティンからの亡命政府による統治が行われていました。
トラブゾン地方の貴重な建造物である13世紀のビザンティンの教会は何世紀もの間モスクとして使用されてきましたが、現在では修復され、アヤソフィア博物館となっています。ビザンティン絵画を代表するような壮麗なフレスコ画が教会の内壁を飾っています。
その他にもファティーフモスクやイェニ
ジュマモスクなど、モスクに生まれ変わっている教会がいくつかあります。オスマン時代のギュルバハールモスクは地方特有の建築様式を持つ建物で、美しいティー・ガーデンの中に建っています。古代の要塞の中にある旧居住区には木造住宅が立ち並び、中世の町の面影を残しています。アタチュルクが滞在した住居は博物館となっています。
トラブゾンの丘の上にあるボズテペ公園からは美しい町並みと海岸線が臨めます。ボズテペの丘の西側の斜面には1340年にトラブゾンのイレーネ皇后によって建てられたイレーネタワーがあります。町の東にある
シュルメネ村
には
カステル
として知られる19世紀の邸宅があります。
トラブゾンの近く、
アクチャアバット
の南には、美しい高原(
カラダー、フドゥルネビ、エリクベリ )があり、ハイキングやピクニックに最適です。トラブゾンから壮大な眺望を楽しみながら曲がりくねった道を内陸に進むと、トルコで最長の
ジガナトンネル
に着きます。近くの
ハムシキョイ
はこじんまりした山村で、ライス・プディングなどの素晴らしい料理を求めてやってくる人々が絶えません。また、ジガナ・スキーセンターへ行く場合にも便利です。
美しい牧草地や草原(ギュルゲナーアチュ・ヤイラス、キラズル・ヤイラス、シヨルマ・ヤイラス)はアウトドア・スポーツやピクニックに理想的な場所です。高地にある草原での毎夏の放牧を祝って伝統的な
カドゥールガフェスティバル
も開かれています。
14世紀の
スメラ僧院
がある壮大な
アルトゥンデレ国立公園
は、深い峡谷を見おろす270mの絶壁の上にあります。修道士たちの住居跡に囲まれた教会は鮮やかなフレスコ画で覆われています。トラブゾンの南西にある
ウズンギョル
は山と牧草地に囲まれた美しい湖で、キャンプ、ハイキング、釣りに適しています。レストランでは美味しい鱒を味わうこともできます。
トラブゾンとイランを結ぶ古代の交易路上にある
ギュミュシュハネ
はかつて非常に重
要な町であり、瀟洒な建物が今でも残っています。果実と野バラの林に囲まれたこの
町はトラブゾンとエルズルムを結ぶ拠点となっています。特産のローズヒップ・シロ
ップとマーマレードをぜひ試してみてください。
ギュミュシュハネの東60km、チョルー川の川沿いに位置する
バイブルト
は、古代のシ
ルクロード上にあります。マルコ・ポーロと忍耐強いトルコ人の旅行者エウリヤチェ
レビは共にこの町に立ち寄っています。バイブルトには、ビザンティンの城の遺跡、
貴重なモスク、トルコ風呂、美しい彫刻を施した墓碑などの旧跡があります。バイブ
ルトで最も重要な建造物は、18世紀のウルモスクと共和国制になってから建てられた
町の中央の時計台です。町の南側の丘の斜面にあるシェヒット・オスマンとその姉妹
がまつられている二つの霊廟も一見の価値があります。チョルー川のオスマン公園は
景観が素晴らしくのんびりできる場所です。

トラブゾンの東75kmにある
リゼ
は、山の斜面にあり、柔らかい緑の枕のような茶畑に覆われています。この典型的な黒海沿岸都市では、16世紀のイスラム・パシャ・モスクとジェノバの城の遺跡が見所です。
ジィラアットゥ公園
からはこの地域全体を見渡すことができます。カラフルなプリントが施された質の良い夏服がリゼの特産品です。サマー・ティー・フェスティバルでは絶妙にブレンドされた黒海産の紅茶を手に入れることができます。メフメット
マタラジュの邸宅は、現在アタチュルク博物館となっており、彼の所持品や地域の民芸品が展示してあります。
リゼから東に向かう道を
アルデシェン
から内陸に入ると、小川の両脇に美しい
チャムルヘムシン
の町があります。近くの
フルトゥナ・ワティシ(嵐の谷)
には美しいジール城とビザンティン時代の石橋があります。
アイデール
のなだらかな牧草地を散策した後は、数ある温泉の一つで骨休めをすることもできます。登山が好きな方にとっては、カチュカール山に登る絶好の起点ともなります。この緑に輝く山脈は、登山者たちにとってトルコで最も険しい山の一つです。カチュカール山脈は全体が美しい
カチュカール
ダラール国立公園
となっています。
リゼの南、カチュカール山脈にある
アンゼール村
では、世界的に有名な栄養価の高いアンゼール蜂蜜を味わうことができます。ここはまた、ハイキングや植物観察にも最適です。
リゼの東西にある、
チャイェリ、パザール、アルデシェン、オフ、フンドゥクル
では、亜熱帯の気候の中で青々とした緑や伝統的なシャレーを楽しむことができます。
チャムブルヌ
の沿岸は金色に輝く松林で覆われ、様々な種類の渡り鳥が羽を休めています。休息をしたり写真を撮るには絶好の場所です。
ホパ
は緑の繁る山の麓にある魅力的な町で、トルコとグルジアの国境に最も近い港町でもあります。国境は
サルプ
の村を二分しています。
ボルチュカ
の27km北東、アルティヴィンへの路上には様々な松や動植物が見られる素晴らしい
カラギョル湖
があります。
アルティヴィンへの緑の繁る道沿いの風景は、
ジャンクルタラン山
の山道と交差するあたりから荒廃した岩場に変わります。アルティヴィンから10kmに位置する
ハティラ渓谷国立公園
は、東はチョルー川とハティラ川の合流点から西は
ナトゥハリ山 (2,923m)まで広がっています。
公園内には岩場の切り立った峡谷や絶壁の斜面などが点在し、熊、鹿、狼、狐、鷲などとともに、地中海や黒海特有の植物を目にすることができます。木製の柱の上にある小屋は特産品である蜂蜜を作る蜜蜂のための小屋です。

山腹の曲がりくねった道を中腹まで登るとこの地方の首都である
アルティヴィン
に到着します。急斜面の麓に16世紀の城跡が山肌から頭を覗かせています。アルティヴィンはこの地域特有の昔ながらのトルコ式の住居が並ぶ魅力ある町です。
この地域の温暖な気候は避暑に最適で、毎年6月には大勢の観光客や鮮やかに着飾った地元の人々が闘牛をお目当てに
カフカソール
・フェスティバルにやって来ます。冒険をお望みならば、荒々しい
チョルー川
でラフティングを楽しむのもいいでしょう。
この地域は中世にはグルジア王国の支配下にありました。グルジアの歴史を尋ねるには、アルティヴィン地域はうってつけです。眺望の良い道路がこの時代の遺物である教会の遺跡や居住区へと続いています。
最も保存状態が良いのは、カチャカル山にある
バールハル
と
イシュハン
の遺跡です。バールハルには最良の乗馬コースもあります。エルズルムへ向かう道外れの
バーバシュ
と
チャムルヤマチュ
にも教会があります。
この道沿いには、
トルトゥム滝
と素朴な
トルトゥム湖 (トルトゥム滝の水量は雪解けの後4月から6月が最も多く、その後目に見えて減少します)もあります。
ユスフェリの近くにも
ドゥルトゥキリセ、キョプリユギョレン、テッカレ
など、グルジアの教会や居住地があります。アルティヴィンの東、かつてグルジアの都であったアルダヌチュには有名な城があり、ここからはこの地域で最も長い峡谷が見おろせます。
アルティヴィンの東のシャヴシャットは、花が咲き誇り蝶が舞う草原、小川、古風なシャレーに囲まれた山村です。ここでは地元の女性グループが地域固有のカーペットとキリムの伝統を守るために織物教習センターを設立しています。
カラギョル-サハラ国立公園
にはカラギョル山で屈指の美しさを誇る湖と有名な
サハラ高原
があります。湖は、シャヴシャットから昔ながらの山村である
ウェリコイ村
を経由して45km北東にあります。
湖の周りにはさまざまな種類の松が生え、ピクニック施設もあります。熊をはじめとする野生動物も多く生息しています。
サハラ高原はシャヴシャットから17km、アルダハンへ向かう途中にあり、松林や美しい鉱物、新鮮な泉に囲まれています。高原にあるコジャベイ
クシュラーウ村には伝統的な木造家屋があり、人々も親切です。
ビルビラン
も避暑地として人気の高い高原です。この地域の人々は皆非常に親切で好意的です。

イズミールとエーゲ海沿岸地域
エーゲ海岸はトルコ国内でも特に地形の美しい地方です。エーゲ海の澄き通った水が打ち寄せる壮大な海岸線には、オリーブの果樹園や険しい岩山、松林に囲まれた広大で素朴なビーチが数多くあります。牧歌的な漁村が点在するなか、庶民的なリゾートや古代文明の存在を証明する5000年もの歴史、文化、神話の遺産を持つこの地方では、自然愛好家、太陽を求めて来た人、写真家、スポーツ熱狂者、船乗り、考古学者など、どなたにもそれぞれに楽しんでいただける休日をお約束します。また、海岸全域に沿って価格幅の広い各種宿泊施設があります。
イズミール-ホメーロス誕生の地
トルコの「美しきイズミール」として知られるこの町は、船やヨットが寄港する細長い湾の先にあります。気候は穏やかで、夏の間は絶え間なく吹き続くさわやかな浜風が照り付ける太陽をやわらげます。海岸沿いには、ヤシに縁どられた遊歩道や並木道が伸び、その奥には、取り囲む山の傾斜を段階状に登るように建てられた細長い町があります。トルコ第3の都市であるイズミールの港は、イスタンブールの次に大きな港でもあります。国際的な活動が盛んで、年中活気に満ちているイズミールですが、国際アート・フェスティバル(6月/7月)や国際イズミール・フェスティバル(8月/9月)の開催期間中、イズミールの活気は最高潮に達します。
現在のイズミールの原形は紀元前30世紀に設立されました(現在のバイラクル)。
(イズミール、コンドル)
当時は、トロイと並んで、西アナトリアで一番文化が栄えている町でしたが、紀元前10世紀半ばには、中央アナトリアのヒッタイト帝国に支配されます。紀元前10世紀のイズミールはスミルナと呼ばれ、イオニア連邦の主要都市の1つとして見られていました。イズミールの最盛期でもあったこの時期に、ホメーロスがイズミールに住んでいたと言われています。
紀元前600年頃にはリュディア人によって町が占領され、イズミールの最盛期も終わりを向かえます。
(イズミール、アゴラ)
リュディア人の占領に続き、紀元前6世紀にはペルシャ人に支配されながらも、イズミールは小さな町として存続して行きます。紀元前4世紀には、アレキサンダー大王の命令のもとにパゴス山(カディフェカレ)の斜面に新しい町が作られました。紀元前1世紀に入り、ローマ時代のイズミールは第2の最盛期を向かえます。ローマに続き、4世紀からはビザンティン帝国に支配され、この支配は11世紀
のセルジュク王朝による占領まで続きます。1415年には、皇帝メフメットチェレビのもとに、オスマン帝国の一部となりました。

美術館・博物館
コナック広場のそばにある
考古学博物館
では、古代のアゴラポに立っていたポセイドンやデーメーテールの像など、古美術のコレクションが充実しています。
考古学博物館に近隣する
民族誌学博物館
では、ベルガマやギョルデスの敷物、民族衣装やラクダの鞍といった民族工芸品のコレクションがあります。
アタチュルク通りに位置する古いイズミールの家屋は、
アタチュルク博物館
として使われており、この家の持ち主でもあったアタチュルクに関連する写真が展示されています。
コナックにある 美術館 には、トルコが生んだ有名画家の絵画が展示されています。 ジュムフリイェット通りにある私立 セルチュク ヤシャール美術館 には、20世紀の
トルコ美術のコレクションがあります。
史跡と遺跡
バイラクル で行われた発掘活動により、アテネに捧げられた神殿と、紀元前7世紀から紀元前5世紀の間にバイラクルで栄えたイオニアの町の壁が掘り起こされています。また、紀元前3000年ごろの陶器も発掘されています。パゴス山の カディフェカレ には、アレキサンダー大王の統治時代にリュシマコスが建てた城と城壁の跡が印象的な姿で残っており、今でもイズミールの町を見下ろしています。城は絶好の展望台になっており、イズミール湾の素晴しい眺めを一望できます。
ナマズガー地区にある アゴラ (市場)は、もともとアレキサンダー大王の統治時代に建てられたものですが、現在使われている建物は、178年の大震災以後、マルクス・アウレリウスの指示で再建されたものです。
ローマの都市計画を物語る、 シリンイェール導水管と イェシルデレ導水管 の2つがあります。ビザンティン時代からオスマン時代まで、この導水管からメレス川の水がイズミールに供給され続けました。 聖ポリュカルポス教会跡 は、イズミールのなかでも最古の教会としてあげられます。この教会は、黙示録の七教会を象徴する教会でもあります。聖ポリュカルポスは、155年にカディフェカレでローマ人により殺害されました。伝説によると、聖ポリュカルポスを火あぶりにしようとしたところ炎が彼を避けたため、最終的には刺し殺したことになっています。この教会は1620年にスルタン(スレイマン)によって再建されました。
18世紀のオスマン宿舎、
クズラルアアスハン
は、18世紀の建築の特徴を備えており、そのころの栄光を生かした修復がされています。
イズミールの象徴である
サアアットゥ
クレシ
(時計塔)は町の中心、コナック広場にあります。スルタン・アブデュルハミトから贈られ、1901年に建設されたこの塔には、後期オスマン様式の装飾が精巧に施されています。
アサンソール地区
には修復された古い住居が数多く並んでいますが、この地区はユダヤ人が多いことでも知られています。この地区からは、メインの遊歩道
ダリオ
モレノ通り
を行くと、下の道と上の道をつなぐ高さ51mの19世紀のエレベータアサンソールへと出てきます。上の道に位置するレストランアサンソールからは美しいイズミールの眺めを楽しめます。
ケメラルトゥの ハヴラ通り に足を踏み入れると、古い建物やユダヤ教会堂があります。
ジュムフリイェット メイダヌ(共和国広場)の中央にあるアタチュルクの像は、馬にまたがるアタチュルクが海を見据えている姿が印象的です。この像は、トルコ軍によってこの町が解放されたことを祝って1933年に立てられました。カルシュヤカに立つ、 空を舞うイルカの像 は、友情と兄弟愛を象徴しています。
モスク
ヒサールモスク はイズミール最大・最古のモスクです。16世紀に建てられ、19世紀に修復工事が行われたこのモスクには、華やかな内装が施されており、ミムベール(演壇)やミヒラブ(祭壇)は一見の価値があります。
イズミールには、ヒサールモスクの他に サレップチオールモスク (20世紀)や シャドゥルヴァンモスク(17世紀、19世紀に修復)、 ケメラルトゥモスク (17世紀)がケメラルトゥ地区周辺にあります。

芸術、文化
イズミールはここ何年も国際的、文化的な町として知られています。イズミールの文化局ではオペラ、バレエ、ミュージカルなどの上演を支援しています。また、この町をホームグラウンドとする、エーゲ海フィルハーモニ-交響楽団や数多くの劇団があります。毎年開催されるイズミール国際フェスティバルでは、国内外の芸術家が、エフェソス劇場などイズミールとその周辺の会場でパフォーマンスを披露します。
アルサンジャック(プンタ)では、バーやカフェ、レストランとして生まれ変わった昔からの家屋が立ち並ぶ遊歩道があります。日中は馬車に揺られながら遊歩道を散策して、夜にはパスポート埠頭周辺のバーやカフェの生き生きとした雰囲気を楽しんで見てはいかがでしょう。
ショッピング ケメラルトゥマーケット の通りでは、魅力的なアンティーク、高級なものから面白いものまでさまざまなアクセサリー、いろんな洋服、イズミール名物の干しイチジクと葡萄などが目に止まります。
カラフルな通りにある魚介類のレストランでは、この地方で取れるトゥランチャやチプラ、2種類の海魚が用意されています。近代的な店や上品な店は アルサンジャックのコルドンプロムナードとカルシュヤカ通り、ジュムフリイェット通りにあります。

イズミール近郊
チェシュメに向かう道の途中にあるバルチョヴァは、トルコで一番規模が大きく、施設の充実した温泉です。
カルシュヤカから西に15kmに位置する
チャマルトゥ
は、海岸沿いの海水に浸る湿地で、鳥類の大切な聖域-
イズミール・バード・パラダイス
として保護されています。この湿地では、フラミンゴやペリカンなど数多くの種類の鳥が観察できます。
カルシュヤカから北に40kmにある美しいカラギョル湖のそばには、松林
ヤマンラール
チャムルーウ
があります。この林はピクニックには絶好のスポットで、また、レストランやプールなどもあります。
ケマルパシャ
にあるカラベル パス(イズミールから20km)の岩には、ヒッタイト人によって浅浮彫りが刻まれています。
イズミールを見下ろすポイントのなかでは一番高度の高いベルカーヴェからは、イズミール湾を見渡せます。ここで、トルココーヒーを飲んで見るのもいいでしょう。アタチュルクが好んだこの地には、彼の像が一段と大きく立てられています。
独立した独自の社会を形成した七教会
については、ヨハネの黙示録に記されていますが、七教会すべてがトルコ国内にあります。それぞれの教会があるイズミール(スミルナ)、エフェス(エフェソス)、エスキヒサール(ラオディケア)、アラシェヒール(フィラデルフィア)、サルト(サルディス)、アクヒサール(ティアティラ)、ベルガマ(ペルガマム)へは、一部または全ての教会を1日~4日間でまわるツアーがあります。
イズミールの西には、エーゲ海の波が打ち寄せる
チェシュメ半島
がひろがります。「チェシュメ」は噴水という意味で、18世紀から19世紀にかけてこの地域で数多く見つかった泉にちなんでこの名前が付けられました。くっきりとした青空に縁どられ、アニスやゴマの実、アーティチョークが栽培されているなか、イチジクやゴムの木が点在するチェシュメ半島の風景は、トルコでも有数の美しさを誇ります。
自然がそこなわれていない浜では、落ち着いた雰囲気で泳げます。観光客用に、宿泊施設やレストラン、またスポーツ施設や娯楽施設も充実しています。
14世紀に建設されたジェノバの要塞は、16世紀に入ってオスマン帝国が補強、拡大し、イズミールから80km離れている小さな港、
チェシュメ
を支配していました。今日のチェシュメは、宿泊施設やレストランが完備されているリゾート地として人気を集めています。要塞のそばにはスルタン(スレイマン大帝)が建てたキャラバンサライがありますが、現在ではホテルとして使用されており、また、19世紀に建てられたハジオス
ハララムボスの教会はエミール チャカアート・ギャラリーとして生まれ変わっています。
近代社会から離れて、健康志向の休日を過ごしたい方には温泉があります。お買い物も、お土産はもちろんのこと、最高級のじゅうたん、皮製品などが取り揃えられています。夜になると、遊歩道のレストランやカフェ・バー、ディスコを中心に生き生きとした楽しい雰囲気が町中を包みます。ヨットを借りて半島の海岸線を探検するのもいいでしょう。夏になると、毎年、国際歌唱コンテストが開催され、また、週に1回、チェシュメとヴェニスの港を結ぶフェリーが運行されています。
ウルジャの見どころは、飛び抜けて白い砂浜とひときわ目立つ
アルトゥン
ユヌスマリーナ&バカンス複合センター
です。ウルジャの浜は、ウォータースポーツ、特にウィンドサーフィンとヨットに最適です。また、ウルジャ周辺には、数多くの温泉があり、なかでも
シフネ浜
の温泉は格別です。
パシャ リマヌ
には、快適な施設を備えたキャンプ場があります。ウルジャ浜では、毎年7月に、色取り取りのヨットが集まる国際チャカベイ
オプティミストヨット大会が開催されます。
チェシュメから北へ20km行くと、静かな海沿いの町、古代
エリュトライ
、ウルドゥルがあります。夕暮れ時にアクロポリスを登ると、浜や島の向こうに沈んで行く美しい太陽の姿を見ることができます。チェシュメ半島の北東にある古い入り江、
ゲレンジェ湾
もそばにあり、ヨットまたは車で訪れることもできます。浜を取り囲む自然が心を安らげ、また、ウォータースポーツも楽しめます。チェシュメを北に少し行くと、深い海に囲まれた入り江に小さな漁村、
ダルヤン
があります。ダルヤンの活気あるマリーナ埠頭には、この地方で一番おいしい魚料理を出すレストランがあります。
チフトゥリック
には、宿泊施設が数多くあり、観光客の人気を集めています。町を出て南へ向かうとすぐに、長い砂浜(
プルランタ
プラジュ
)があります。さらに、南に行くとキャンプ場もあり、キャンプ場のそばには、この地域のなかでは最も美しい浜辺
アルトゥンクムプラジュ
(黄金の浜辺)があります。
典型的なエーゲ海地方の町、アラチャトゥの丘には風車が点在し、そのうちの何台かは趣のあるレストランに改造されています。
アラチャトゥ
は、ウルジャと海岸から内陸部に向かって南に位置しています。南に数キロいくと心地よい浜辺があります。また、海岸に沿って南東には、ヨットでしかアクセスできない浜辺がいくつかあり、ヨットの盛んなこの地域のなかでも、静かで落ち着いた停泊地となっています。
古代
クラゾメナエ
、現在の
ウルラ ウスケレシ
には、手ごろな料金から高級な宿泊施設まで十分に揃っており、マリーナもあります。
ギュヴェンディック
の丘の頂上にあるレストランからは、ウルラ ウスケレシの入り江とそこに浮かぶ島の素晴しい風景が楽しめます。
チェシュメアルトゥ
の漁村は、シンプルではあるもののおいしい魚料理を食べさせるレストランが有名で、小さい村ながらも活気があります。
海辺の景色を楽しみながら、
カラブルン半島
の海岸線に沿って車を走らせると
バルクルオヴァ
や
モルドーアン
、
カラブルン
といった静かな浜辺や趣きのある漁村を通ります。カラブルンでは、美しい山と澄んだきれいな海に挟まれて、心地よいホテルやティー・ガーデン、レストランが立ち並んでいます。
マナストゥール山
から望むカラブルン海岸と反対側の
フォチャ
海岸、イズミール湾の入り口の美しさは忘れ難い光景です。
チェシュメ半島の南側、
セフェリヒサール
の近くに、こじんまりとした風景画のような
スーアジュック
のマリーナがあります。この中心的なヨット・センターは、ジェノヴァの時代に建てられた要塞に囲まれており、テオスの遺跡にあるディオニューソス神殿や美しい
アックム浜
へも便利です。
アックムを南へ行くと、ウォータースポーツに最適なリゾート地、
ニュー・ネプチューン
があります。ここでは、ウィンドサーフィンやダイビング・スクールもあります。
ギュミュルドゥール
では、美しい浜辺やレストラン、ホテルなど観光客用の施設が充実しています。
アフメットベイリ(クラロス)
を東へ少し行くと、アポロ神殿と巨大なアポロの像の一部があります。ここでは、おいしい魚料理を食べたり、町の広々とした浜辺で泳ぎを楽しめます。海岸沿いの曲がりくねった道は、アフメットベイリから南へ
パムジャック浜
まで続いています。

古代
フォカエア
、
フォチャ
は昔はイオニアの一部でした。今日では、2つの深い入り江を持つ近代的なリゾート地となっています。心地よい宿泊施設やきれいな浜辺、つい立ち寄りたくなるレストランなど、休日を過ごすのに魅力一杯のスポットです。真っ黒に日焼けしたい人には、
シレン島
にある自然の岩のテラスがお勧めです。
一時は文化の中心地であった
ベルガマ(ペルガモン)
は、トルコのなかでも有数の考古学的価値のある町として見られています。近代的な町を見下ろす丘、アクロポリスには、名高い図書館や急勾配で印象的な劇場、トラヤヌス神殿、ディオニューソス神殿、ゼウスの記念祭壇、デーメーテールの至聖所、3段丘に渡って建設されたギュムナシオン、アゴラなどの遺跡が残されています。
町の南部からさらに南東に行くと、医術の神アスクレーピオスに捧げられた聖地アスクレピオンがあります。町なかでは、セラピス神に捧げられた神殿のそばに考古学民族誌学博物館があります。神殿は、後に黙示録に記されている七教会の1つとなり、続いてビザンティン時代にはバシリカ聖堂として使われていました。
ベルガマの
ディキリ
は、ペルガモンを訪れる人を運ぶ巡航船が立ち寄る港町です。町はのんびりとしていて、コルドン遊歩道には居心地のいいレストランが数多く並んでいます。トルコの保護地区でも特に素晴しいゲノエセの要塞の観光には、小さな港
チャンダルル
、古代
ピタネ
に立ち寄ることをお勧めします。
アイワルク
は、美しい松林の真ん中に位置するかわいらしい港です。近くの
シェイタン ソフラス(悪魔のテーブル)
からは、
アイワルク湾
とおいしいシーフードレストランがある小さな
アリベイ(ジュンダ)島
に沿って並ぶ群島の見事な景色が水平線いっぱいに広がります。また、この地域では一二を争う程美しい
サルムサクル浜
があります。
オリーブ・リヴィエラとも知られる
エドゥレミット湾
に沿って、魅力的なリゾート海岸がいくつもあります。
キュチュッククユ
、
アルトゥンオルック
、
アクチャイ
(数多くの温泉が出ている温泉地)、
エドゥレミット
、
オーレン
といった美しい浜辺が、エドゥレミット湾を取り囲む形にあり、海の見えるホテルやゲスト・ハウスなど幅広い宿泊施設があります。浜辺の他にも、美しい
カズダー国立公園
には、素晴しい風景や心休まる緑や温泉もいくつかあります。
神話によると、世界で初めてのミス・コンテストはこの地域で開催されました。また、有名な「パリスの審判」でパリスがアプロディーテーにベルノキの果実を与えたのも、アクチャイの西方、プナールバシュにある
カズダー
(イーダ山、1774m)の山陰でのことです。

エーゲ海より内陸部に入ると、いくつもの重要な初期文明を支えてきた肥沃な土壌が広がります。現在では、町のなかではもちろんのこと、郊外でも各時代の遺跡を見ることができます。
比較的新しいものでは、保存状態もよい伝統的なトルコ国内の建築物やオスマン朝のモスクなど、オスマン帝国の遺産があります。また、のんびりと温泉を楽しんだり、温泉の効能を期待する方にはこの地域にある温泉リゾート地が何ケ所もあります。
●マニサ
興味深いエーゲ海の町、
マニサ
には、代表的なセルジュク朝とオスマン帝国の建築物が保存されています。スレイマン大帝の母アイシェ
スルターナの援助を受けて、スルタン・モスクが16世紀初頭に建てられました。皇帝の母が病気で苦しんでいた時に、その病を治したとされるメシール
マジュヌを祝う祭が、毎年4月にこのモスクの敷地内で開かれます。16世紀には、偉大な建築家シナンが設計したムラディイェモスクや、現在では考古学博物館として使われているアドゥジャジェント・メドレセ(神学校)が建てられています。
お祭り騒ぎのようなブドウ畑の収穫が始まる9月には、毎年、収穫祭が行われます。この地域のブドウ畑で収穫されたブドウの一部は、干し葡萄として輸出されます。町の南には、
シピル
ダー国立公園
が広がり、有名な涙を流すニオベーの石像があります。また、北へ行くと絨毯の町として知られる
ギョルデス
があります。
クロイソス王時代のリュディアの首都であった古代
サルト(サルディス)
の遺跡は、サルト
チャユ(パジュトレ川)にあります。世界初のコインはここで製造されました。アルテミス神殿や修復されたギムナジウム、3世紀に建てられたユダヤ教会堂がこの町の過去の栄光の証として残っています。
サルディスの南にある
ボズ山
では、ハイキングや登山などが楽しめます。山の南側の斜面にはビルギの村があり、そこには素晴しいトルコの建築様式を代表するチャクル アーア邸があります。
●ウシャック
ウシャック
は、昔から現在に至るまで、絨毯の中心地として重要な位置を占めています。考古学博物館は、ていねいな解説がされており、興味をそそります。カフタンジュハウス博物館やアタチュルクの家を使っているアタチュルク民族博物館にはウシャックで作られた素晴しい敷物やキリムが展示されています。
●アフヨン
ビザンティン時代に建てられた近寄り難く堂々とした姿の要塞が、のんびりとしたアフヨンの町を見下ろしています。アフヨンの町の歴史は、考古学博物館と独立戦争記念館に収められています。また、町の北にある丘の岩壁には、フリギア王国の伝説を彫った浅浮彫りの記念碑が見られます。なかでも一番大きいのが
アスランタシュ
です。
アスランカヤ
では、ライオンのレリーフが岩の側面に刻まれています。アフヨンから南に100kmに位置する
ディナール
の町に北側から入るとすぐにアチュック
ハヴァ
ミュゼシ(野外博物館)があります。伝説上のアポロとマルシュアース(パーン)による音楽の技くらべはここで行われました。この博物館にはビザンティンやローマ時代のお墓や碑文、像などが並べられています。
●キュタフヤ
キュタフヤは、トルコのなかでも有数の古い歴史をもつ町です。今でも、トルコの昔ながらの習慣が日々の生活のなかに残されており、また、城やモスク、神学校、浴場、集落、お墓、住居など、オスマン時代の貴重な建築物も見ることができます。モスクのなかでは、特に14世紀に建てられたウルモスクが一見の価値ありです。
キュタフヤ城からは、町の西側の素晴しい眺めが一望できます。14世紀には神学校として使われていたキュタフヤ考古学博物館には、民芸品、ローマとビザンティン時代の遺産、イズニックとキュタフヤで作られたオスマン時代のタイルが展示されています。19世紀のハンガリーの英雄、ラウス・コシュートが家族と共に住んでいた家屋は、コシュートに関する遺物や書物が展示されているコシュート博物館として使われています。
16世紀から17世紀にかけて、
キュタフヤ
のキルン(窯)からエキゾチックな陶磁器が生まれました。今日でもその技術は受け継がれており、作業場を覗くと熟練した職人が乳白色の下地にコバルト・ブルーのパターンで知られるタイルやお皿、ボールを制作している姿を見ることができます。
キュタフヤの南東には、劇場やスタジアム、ゼウス神殿が残るローマの都市
チャヴダールヒサール(アエザニ)
があります。
同じくキュタフヤの南東の
ムラット山
では、爽快な風景のなかにキャンプ場や温泉があります。また、
ドゥムルプナール
の近くには
バシュコムタン国立公園
と独立戦争の記念碑があります。
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古代の商業の中心であった
エフェス(エフェソス)
は、トルコでも決して見のがす事のできない有数の観光地です。町の豊かな財政とパトロンからの援護により、壮大な建設計画であったアルテミス神殿が完成しました。
この巨大な神殿は、古代の七不思議とされていたこともあり、また、修復も数回行われていますが、神殿に使われている一番古い様式から紀元前3世紀のものであることがわかります。ここではケルススの図書館の他に、劇場やジムナジウム、アゴラ、浴場などの遺跡が残っています。
近くにある
セルチュク
の町には、使徒のお墓に建てられた6世紀の聖ヨハネのバシリカ聖堂のすぐそばに、ビザンティンの要塞が威圧するようにそびえています。バシリカ聖堂の横にある14世紀のウサ ベイモスクへは、典型的なセルジュク様式の門構えを抜けて入って行きます。
考古学博物館には、石像などエフェソスでの発掘調査により発見された遺産が展示されていて、見る人に深い感動を与えています。考古学博物館のそばには16世紀のトルコぶろ博物館があり、ハマム(浴場)でのトルコ人の様子を見ることができます。毎年5月には、エフェソス国際フェスティバルが開催されます。
キリストの死後、ヨハネが聖母マリアに残りの日々を暮らすようにと小さな家(メルイェマナ エヴィ)を用意した場所が
ビュルビュルダーウ(コレッソス山)
でした。現在ではキリスト教徒やイスラム教徒の巡礼の地として有名ですが、正式にヴァティカンの認可を受けた聖母マリアの小さな家では、毎年8月15日にキリスト教徒による記念の祭典が行われます。
チャムルック
のセルチュクの近くでは、TCDD野外蒸気機関車博物館があります。セルチュクを東へ9km行くと、伝統的な19世紀の住居で有名な
シリンジェ
の町です。立ち並ぶ住居のなかには、宿泊できるように改装されているものもあります。町全体が野外博物館のような山腹の小さな町、シリンジェでは、ワインが製造されています。ワインを試して見たい方には、セルチュクから18kmのところにワイン酒場があります。

デニズリ
ビュユック メンデレス(ミーンダー)川の近くで、高い山々に埋もれているような町が
デニズリ
です。緑の多い渓谷がもたらす、豊かな自然に囲まれたこの町の文化と歴史もまた豊かなものです。
この町の最初の住民はルヴィ人でしたが、ルヴィ人に続いて何世紀も後にヒッタイト人が住み始めました。何世紀にも渡って、肥沃な土地がフリギア、リュディア、ペルシア、マケドニア、ローマ、ビザンティン、セルジュク、オスマンなど、いくつもの文明を支えてきました。
現在のデニズリは、広い道に公園やホテルが整った町です。町の中心にあるアタチュルク民族学博物館には民芸品や工芸品が展示されています。カレイチチャルシュスでは、お土産として銅製品や宝石、タオル、シルクのブラウスが売られています。チャムルック公園、インジリプナール公園、ギョクプナール公園ではピクニックも楽しめます。また松林の木陰を散歩するのもいいでしょう。気持ちのいい泉や温泉も人気を集めています。
パムッカレ
パムッカレは並外れた自然の驚異です。ここでは、地面から湧き出た石灰成分を含む摂氏35度の温泉水が100メートルの高さから山肌を流れ、無数のプールを作っています。温泉水がプールから溢れ出て、クリーム色の鍾乳石が形成され、世界に二つとない息をのむような景観が作り上げられました。綿や雪にも似たこの光輝く幻想的な城(「綿の城」とも呼ばれています)を作り上げたのはまさにこの温泉水なのです。
この不思議な土地には、心臓病、循環器疾患、高血圧、神経性の障害、リウマチ、目や皮膚の病気、神経や肉体の疲労、消化器疾患、栄養障害に効果のある温泉が豊富に湧き出ています。
パムッカレ(デニズリから19km)へ向かう道路沿いには、キョウチクトウが茂り、続くリゾート地ののんびりとした雰囲気を予感させます。ホテルのプールは庭園の中にあります。小さな滝のある丘陵地の天然のプールは、自然を愛する人たちや日光浴をする人たちに喜ばれることでしょう。
ヒエラポリスの遺跡はもう一つの見どころです。この都市は紀元前190年にペルガモンの王であったユーメネス
II世によって作られ、ローマ時代の温泉地として、2、3世紀に最も栄えました。ヒエラポリスでは遺跡が広い範囲に散らばっているため、次のようなルートで見学することをおすすめします。
街の壁を見物した後、八角形の聖フィリップのマーティリウムから2世紀の劇場へ。保存状態の良いステージ上の大理石のレリーフを見学します。アポロ神殿の隣には、「神聖な場所」があります。ここでは地面の深い穴(プルトニウムとして知られる)から有毒なガス(二酸化炭素)が噴出していましたが、聖職者たちは「他の者たちには致命的だが自分たちは大丈夫だ」と信じていました。そばにはこれを記した噴水があります。
パムッカレ・モーテルのプールにはローマ浴場にあった巨大な大理石の石板があります。次にバシリカに向かい、柱の立ち並ぶ通りを抜けてビザンティン時代とローマ時代に作られた記念門をくぐり、西の浴場に出ると、あとは共同墓地を見学して終わりです。共同墓地は2kmにも及び、墓石の形式別の特徴的ないくつかの墓石の形をここで見ることができ、アナトリア全土でも最も保存状態の良い墓地のうちの一つです。
東部浴場跡(East Bath)
は、現在では修復が施され、ヒエラポリスからの遺物を貯蔵する考古学博物館となっています。パムッカレには、この地域特有の石灰で作ったみやげ物を売っている店もあります。
また、真っ白な背景にカラフルなキリムが一層鮮やかに映えます。カラハユット温泉センターはパムッカレの北西5kmにあり、宿泊施設も充実しています。ここには鉄分を多く含む温泉水が湧き出ています。

ムーラ
ムーラ地方には、ボドルムやマルマリス、ダッチャ、キョイジェーイズ、フェティエといった有名なリゾート地が含まれています。美しいリゾート、快適なホテルとモーテル、心地よいゲスト・ハウス、過ぎ去りし文明の感動的な遺産、素晴しい風景が休日に訪れる人々を待っています。
内陸部に位置するこフ地方の中心地、ムーラは、伝統的な建築様式で有名です。ムーラの東、まさに野外博物館のようなオズリュジェの村には、500万~900万年前の化石が出るトゥロリアン公園があります。
エーゲ海と地中海が交わる、眩しいほどの青い浜、ボドルムでは、騎士ロードスが建てた中世の城が印象的な姿で町の入り口を護衛しています。この町はさまざまな魅力にあふれているので、常に観光客でにぎわいヤシの並木の海岸沿いを散歩する姿が多く見られ、マリーナも豪華なヨットでにぎわっています。
町から少し行くと、澄んだ、波の穏やかな暖かい海で泳げます。潜りのすきな方は、数多くあるリーフや横穴を探検したり、岩が作り出す荘厳な海底の様子を観察してみましょう。いろんな大きさ形の色取りどりの海綿やタコ、他にも考えられないほどの海の幸がとれます。
ボドルムの艇庫に関するうわさは、古代でもすでに広がっていました。今日でも職人が、船首と船尾が尖っているティルハンディルや、船幅が広く丸みをおびた船尾を持つグレッテといった伝統的なヨットを制作しています。特にグレッテは、遊覧船やレジャー用に使われており、また、毎年10月に行われるレースにも使われています。
まだ、ボドルムが観光地として人気を集める前に訪れた観光客が、地元のお店を活気付けてきました。白い壁に囲まれた狭い道に並ぶ気さくな小さなお店には、各種皮製品、天然の海綿、青いガラスのビーズが見つけてもらいたがっている掘り出し物と共に売られています。素敵なブティックでは、柔らかい綿の地元の衣服の他に、キリムや絨毯、サンダル、刺繍があります。
ボドルムには、生き生きとした親しみやすい自由奔放な雰囲気があり、またいくつもの小さなギャラリーがあることから、トルコの芸術コミュニティーの中心地として知られるようになりました。このコミュニティーによってボドルムは、さらに、形式ばらず、夜は楽しく過ごそうという雰囲気になりました。ボドルムの夜は、お好きなレストランでゆっくりと新鮮なシーフードやエーゲ海料理を楽しんでください。レストランの後は、ナイトクラブ(キャバレーも一部あります)や華やかなディスコで夜明けまで遊べます。
古代ハリカルナッソス、ボドルムはヘレドータスの誕生の地であり、また、古代の世界七不思議の1つにも数えられたマウソロス王の墓(紀元前4世紀)もあります。港には、15世紀の十字軍の建築様式の聖ペテロ中世の城、ボドルム城があります。この城は水底考古学博物館として改装されて、古いものでは青銅器時代の遺産を展示しています。近くのギョクテペから見える息を飲むような眺めは、博物館の2世紀劇場へと向かう人々が最も好んで写真を撮るスポットです。
ボドルムから30分、カラアダへの船旅の後は、洞穴の中で湧き出る暖かいミネラル水を浴びてください。この水を浴びると、血色が良くなると言われています。
半透明の深い海、ギョコヴァ湾はボドルム半島の南側になります。ここの海では、一番深い青色から一番薄いトルコ石色までどんな青色も揃い、海岸を幾重にも覆う木々では、どんな緑色も揃います。海は、夕方には沈む太陽に照らされた山々を写しだし、夜には燐光でチカチカと光ります。ボドルムからヨット・ツアーもあり、また、ボートを借りて2,3,7日間コースのツアーで入り江を楽しむのもいいでしょう。
ギュルリュック湾と同じ名前の港は、ボドルム半島の北側、エーゲ海にあります。伝説のイルカ少年は、ここより少し北のクユクシュラジュック(イアッソス)で生まれたことになっています。
ギュルリュックの南へ行くと、オリーブの丘に囲まれた、深く、狭い入り江の奥に古代バルギルヤ、ヴァルヴィル
があります。
ギュルリュックから内陸部に入ると、古代ミラサ、ミラスの町があります。この町は100年前から今も続く古い伝統である、美しい絨毯の町として知られています。絨毯を織っている人は、観光客が覗き込んでもほとんど気にする様子もありません。町の建物には削った材木が使われていて、格子戸のある古いトルコの住居がたくさんあり、地元に伝わる建築様式がわかります。
町の西側には、ハリカルナッソスの霊廟を縮小して再現された記念の霊廟、ギュミュシュケセンがあります。
ゼウスに捧げる神殿、ラブランダを古代の人は山の上高くに建てました。今日では、観光客がこの山の上の隠れ家を訪れ、澄んだ空気と息を飲む程美しい風景を楽しんでいます。
松にびっしりと覆われた山を背にした浜には、ウォータースポーツやヨットが楽しめる、魅力たっぷりの海上公園、マルマリスがあります。ここは、エーゲ海の海岸線を遊覧する「青い航海」ツアーの出発地点としても最適です。5月にマルマリスヨット・チャーター・ショーが開催され、ヨットの船長や船員とふれあう機会もあります。十分な装備を積んだヨットの中から好きな1隻を選び、美しい南トルコの景色をのんびりと見てまわるのもいいでしょう。
マルマリスでは、マリーナのレストランでトルコ料理を味わい、ラク、アニゼットを古くから伝わるトルコ流に氷と水で薄めて飲んで見てください。食後は、ヤシが並ぶ明るく照らされた遊歩道を散歩して、アイスクリーム屋を覗いてみるのもいいでしょう。生き生きとしたバーでエネルギッシュな余興を楽しんだり、洗練されたディスコで夜明けまで踊って、マルマリスでの1日が過ぎていきます。
ブティックや、カラフルな商店街、マーケットには、上質の皮やスウェードの製品、銅製品、スズ製品、宝石、オニキスの彫刻など、お買い得の品がたくさんあります。お土産にはトルコ工芸品、敷物、織物、刺繍などがあり、ほかにも地元で作られている松の香りのするハチミツ、チャムバルは絶品です。
古代マルマリス、フィスコスは、アナトリア-ロードス-エジプト間の貿易ルートの重要地点でした。スレイマン大帝が、16世紀に丘の上に建てた要塞の遺跡は今でも見ることができます。
泳ぎが好きな人はマルマリスの東にあるアタチュルク公園に是非立ち寄ってください。浅い浜辺からのびる浜に沿って安全な海が広がります。澄んだ海の水は暖かく、5月上旬から9月下旬まで泳げます。
乗馬場やテニス・コートもあります。また、ここは世界でも珍しいトスゴムの木の香が辺りを包んでいます。夏期には、毎週マルマリスとヴェニスを結ぶフェリーが運行されます。
マルマリスのそばのイチュメレールには、もやのかかった山があり、その神秘に包まれた斜面はそのまま砂浜へと続いています。青い空の下、澄みきった海であらゆるウォータースポーツを楽しめます。訪れる人の多くは、この土地から離れ難くなり、予定を変更して滞在を延ばすこともしばしばです。
宿泊施設も整っており、どの施設も自然とのふれあいを重視しています。高い山々からトゥルンチュの村まで車で下りて来ると、視界がひらけ、自然にできた港の向こうに広がる驚くほど青い海が見えてきます。村自体は小さな村で、浜に沿って散在しています。レストランは主に海岸沿いに集中しています。水辺から少し離れたところにあるバーやレストランでは、新鮮な魚と素晴しい眺めが楽しめます。
トルコのパラダイス、クムルビュックは、浜の南側にあります。北側に行くと海上にロードスの古代都市
アモスが建っています。ボズブルン半島の先端には、海上からしかアクセスできない
ロリーマがあります。ここには、古代の港や城の遺跡が残っています。半島の北側の海岸線沿いには、自然のままの静かな浜が点在しています。
ギョコヴァ湾に浮かぶセディール島は、古代
ジェドゥライとして知られていました。マルマリスから車で北のゲリボル浜まで行き、そこから船でセディール島へと渡ると、古い町の壁や、劇場、神殿を見ることができます。また、みどころは島の上だけでなく、浜の向こうに見える山の全貌も忘れ難い素晴しい眺めです。
湾の先には山の傾斜に階段上に建てられたギョコヴァの村があります。高台から泡をたてながら流れてくる流水の上に建てられたレストランでの食事は、なかなか他では味わえません。照りつける太陽に疲れたら、背の高い松と涼しいそよ風の中ギョコヴァ公園で休憩してください。
ダッチャ半島の北側にはエーゲ海のギョコヴァ湾、南側には地中海のヒサーリョヌ湾があり、半島がちょうど2つの海の境界線のような形になっています。マルマリスからダッチャへと続く75kmの道は、青い空が広がる中、木々や丘の素朴な愛しい風景のなかをくねくねとのびています。キャンプ場も数多くありますが、より快適さを求めるのなら心地よいリゾート地に滞在するのもいいでしょう。
ダッチャまで25kmの地点には、美しい「ブルーフラッグ」の浜辺アクトゥール浜があります。ダッチャでは、白く塗られた建物とブーゲンビリアが町全体を華やかにしています。海岸を南へ行くとマリーナがあり、海岸の北側へゆけば泳げます。マリーナの周辺には、バーやカフェの他にもいろいろなお店が観光客の興味をそそります。
お店のなかには、夜遅くまで開いているところもあります。食前酒を飲んでリラックスしたあとに、レストランでおいしい夕食をとるのが一般的なダッチャの夜の過ごし方です。もちろん、地元のレストランでは新鮮な魚と伝統的なトルコ料理が楽しめます。遊び足りない方は辺りを散歩して、ディスコで早朝まで踊り続けるのもいいでしょう。ダッチャの10km北にあるキョルメン港からは、ボドルムへ毎日フェリーが出ています。
ダッチャの町を出て車でも船でも走らせると、まだあまり人の手が加わっていない浜や、美しい砂浜があります。なかでも人気が高いのはカルグです。半島の先端(ダッチャから38km)には、カリアの古代都市、クニドスがあります。ストラボンはこの町を「神々のなかでも最も美しいアフロディーテーのために、最も美しい半島に建てられた町」と表わしています。
紀元前4世紀には芸術と文化の中心であったこの町には、エーゲ海側と地中海側にそれぞれ1つずつ、2つの港があります。愛の女神に捧げられた円形の神殿の遺跡は、2つの港を見守っています。この神殿の拱廊に使われている支柱は、白い大理石で、ハート型をしています。古代遺産のなかでも最も美しい、プラクシテレスが彫った伝説のアフロディーテー像は一時期この神殿にありました。
キョイジェーイズの町を北の端にして、キョイジェーイズ湖がありますが、この湖は自然の水路で地中海とつながっています。このめずらしい環境は、自然と野生動物の保護地区に指定されています。強い香りを放つトスゴムの木々の陰の下にのびる道を行くと、内陸部を通る水路に小さなダルヤン村があります。入り組んだ水路をボートで探検し、幻想的な夢の世界にどっぷり浸って見るのもいいかもしれません。
水路に沿って立ち並ぶレストランでは、特に新鮮な魚料理がおすすめです。魅力的な古代の港町ジャウノスより遥か高い、川の流れにそびえ立つ絶壁の上では、岩に刻まれた見事な墓標があります。入り口に長い黄金に輝く砂浜があるダルヤンデルタは、政府の管理区域であり、ウミガメ(カレッタカレッタ)とワタリガニの保護地区でもあります。
マルマリスから南東へ135kmのところにある人気の高いリゾートフェティエには、島々が浮かぶ浜の先端には重要なマリーナがあります。騎士ロードスが建てた十字軍の要塞をのせた丘が、小さな港を見下ろしています。町(古代テルメッソス)から絶壁を見上げると、古代の建築物の壁に、いくつものリュキア人の墓碑が刻まれているのが見えます。
なかでも、紀元前4世紀ごろのものと思われるアミンタスの墓碑が見事です。
泳ぎを楽しみたい方には、町から西へ4kmのところにある人気の高いチャルシュ浜か、また、港の反対側にあるショヴァルイェ島がお勧めです。この島では、春になると花が咲き乱れます。
ベルジェーイズ浜へと向かう道はいくつかの山を通りますが、山の景色を楽しみたい人は山中のゲスト・ハウスに宿泊できます。山あいの村のなかでも、見逃してはならないのが、オジャッキョイの村です。素敵なゲスト・ハウスに宿泊して、ハイキング・コースをお楽しみください。
また、同じく山あいの村
ヒサーリョヌには、とても上品なホテルがあります。ヒサーリョヌから4km程のカヤキョイは、古い家や教会が立ち並ぶからっぽの町、絵に描いたようなゴースト・タウンです
ブルー・ラグーン、オル デニズの浜辺や美しいラグーンを探索してみてください。穏やかでクリスタルのように透き通った海は、泳ぐのにもさまざまなウォータースポーツにも適しています。また、ブルー・ラグーンでは、何にもせずに、ただ、圧倒的な自然のなかで太陽の光りを浴びるだけという過ごし方もいいものです。ババ山(1,969m)からは、パラグライダーでブルー・ラグーンまで行けます。宿泊施設をお探しの方には、ベルジェーイズ浜がお勧めです。
クドゥラックでは、海浜と木が覆い茂る公園を中心に幻想的な風景が広がります。ゲミレール島(聖ニコラウス島)には、松に隠れるようにビザンティン時代の遺跡が残されています。クドゥラック浜の南、キョトゥリュムス浜へは船で渡ります。牧歌的な浜辺の向こうの森や滝、渓谷には何百種類もの蝶が生息しています。
フェティエを見下ろす山々では、激しい急流が山の合間に地溝を刻みながら流れて行き、隠された町サクルケントを形成しています。暑い真夏日でも涼しいサクルケントは、ピクニック場として人気があり、また田舎風のレストランでは非常においしい新鮮なトラウトを食べさせてくれます。
フェティエの南、36kmには、リュキア時代の最も古い町、ヤカキョイ(トゥロス)があります。この町はリュキア人の英雄ベレロポーンの故郷であり、城やアゴラ、共同墓地、劇場、ローマ様式の浴場などの遺跡が残されています。ここから眺めるエシェン渓谷
も格別です。町から東へ2kmのところに、ピクニックには最適なトゥロス公園があります。
フェティエから南へ49kmのところには、もう一つ古代の山あいの町、プナラがあります。この町では、ハイキングが楽しめます。また、劇場やアゴラ、石碑、浴場、古代の売春宿の遺跡が残されています。
フェティエから南東へ65km程いくと、クヌックのそばに、絶好の地形に建てられたリュキアの首都
クサントスの遺跡があります。そばには、昔、宗教的中心地として重要な町であったレトゥーンがあります。古代では、ここにレートーとアルテミスとアポロに捧げられた3つの神殿がありました。

●交易の交差点
峡谷に切り裂かれ、火山が聳えるアナトリア中部の黄土色の高地は、トルコの中核地帯です。小麦畑に覆われ、ポプラ並木に縁取られた起伏の激しい大草原には、孤高なる威厳があります。
この高地は、文明の発祥地でもあります。
チャタルヒュユク
では、紀元前8000年の集落跡が発見されました。また多くの人の故郷であり、東と西の文明のせめぎあう歴史的な戦場でした。ハッティ、ヒッタイト、フリギア、ガラテヤ、ローマ、ビザンティン、セルジューク、オスマンすべてが自らの主権のために戦い、統治を行いました。11世紀には、東から遊牧民であるトルコ人がやってきて、高地を支配しました。
この波瀾に満ちた歴史の中で、アナトリア中部は、アレキサンダー大王、タメルランなどの偉大なる征服者による侵略に耐えてきたのです。1万年も続く歴史の中で、この地域の住民たちは自分たちの暮らしぶりを芸術のなかに表現してきました。チャタルヒュユクの力強い絵画やセルジュークの建造物の威厳に満ちた意匠、最近ではアタチュルク廟の印象的で現代的な形。これらはまわりの風景にドラマチックに縁取られています。
●アンカラ
アンカラの街はアナトリアの中央部に位置し、標高850mで、広大なアナトリア高地の東端にあります。アンカラ市はアンカラ地域の中心地で、この地域には非常に肥沃な小麦畑があり、北東には森が広がっています。この地方は、北はチャンクルとボル、西はエスキシェヒールに接し、南にはコンヤとアクサライ、東にクルッカレとクルシェヒールがあります。この地域の歴史は青銅器時代のハッティ文明から始まり、紀元前2000年のヒッタイト、フリギア(紀元前10世紀)、リディア、ペルシアに受け継がれ、その後のガラテヤ人に続き、ケルト人がアンカラに最初の首都を作り上げました(紀元前3世紀)。アンカラはその頃“いかり”(海を愛するケルト語の最も古い単語の一つ)を意味するアンキュラと呼ばれていました。
この街は、その後ローマ帝国、ビザンティン帝国、セルジューク朝の手に落ち、1073年にアルパスラン、1402年にユルドゥルム ベヤジットに支配され、その後第一次世界大戦までオスマントルコの統治下にありました。ローマ時代には文化、交易、芸術の中心地であり、オスマン時代には東へ向かうキャラバンの重要な交易場所でしたが、19世紀まで徐々にその重要性が失われつつありました。しかし、ケマル・アタチュルクが独立戦争を指揮するための基地としてこの地を選んだことで再びその重要性を取り戻したのです。戦争での役割と戦略的な立地条件により、1923年10月に新しいトルコ共和国の首都に制定されました。

アヌトゥカビル(アタチュルク廟):トルコ共和国の建国者であるケマル・アタチュルクの霊廟は、街のアヌッテッペ地区の眺望の良い高台にあります。1953年に完成され、古代建築と現代建築を融合させたアイディアはトルコの現代建築を代表するもので、今でも卓越した印象を与えます。
中には美術館があり、アタチュルクの立派な像が飾られ、自筆の書、手紙、所持品とともに、彼の生涯と共和国誕生の重要な場面を写した写真が展示してあります。(アヌトゥカビルは年中無休。美術館は月曜休館。夏場は夜になると光と音楽のショーが行われます)
■美術館
アナトリア文明博物館 :城門そばの古い隊商宿を美しく改造した建物。旧石器、新石器、ハッティ、ヒッタイト、フリギア、ウラルトゥ、ローマの各時代の出土品やリディアの宝物など歴史的価値のある素晴らしい品々が展示してあります。(月曜休館。夏場は無休)
民俗学博物館 :タラットパシャ通りのオペラハウスの向かい側にあります。民芸品、セルジュークやオスマンのモスクからの貴重な品々などが展示されています。(月曜休館)
絵画彫刻美術館 :民俗学博物館のそばにあり、19世紀末から今日までのトルコの芸術作品を見ることができます。展示品を回るギャラリーもあります。(月曜休館)
独立記念美術館 :ウルス広場に程近い場所にあり、トルコ共和国の最初の国会であった建物です。独立戦争の作戦会議が行われた場所で、その頃の写真や記念品が展示されています。トルコの歴代の大統領の像も展示されています。(月曜休館)
共和国美術館 :独立記念美術館の近く、2番目に国会が置かれた場所にあります。当時の共和国の重要な出来事を記録するための展示が行われています。(月曜休館)
アタチュルク美術館 :この美術館はチャンカヤの大統領官邸の敷地内にあり、共和国を建国後にアタチュルクが移り住んだ建物です。さまざまなイベントを記録した写真が飾られ、当時のままの状態で保存されています。(日曜と祝祭日に開館。開館時間-午後1:30~午後5:00)
■歴史的建造物とモニュメント
アンカラ城
:あちこちに溶岩が露出する土地に建つこの城は、ガラテヤ人によって建築が始められ、ローマ帝国によって完成された後ビザンティン帝国とセルジューク朝によって修復や増築が行われました。
この一帯はアンカラで最も古い地区で、城壁内には伝統的な建造物が数多く見られ、緑も豊かです。アンカラ地区は、紀元前2000年に“ヴィノ”(ハッティとヒッタイト)が発祥した地として知られています。
この地域のトルコの伝統的家屋の中には修復され、トルコをはじめとする様々な国の料理やワインを味わえるレストランになっているところもあります。
ローマ劇場 :この遺跡は、城の外からステージと舞台裏を見ることができます。ここで発掘されたローマ時代の彫刻はアナトリア文明博物館に展示されています。客席部分は現在発掘中です。
アウグストゥス神殿 :この神殿は街のウルス地区にあります。西暦10年にガラテヤ人の王ピラメネスがアウグストゥスを祀るために建設したもので、2世紀にローマ人によってアンカラのアクロポリスに建て直されました。「アンキュラ時代のモニュメント」として非常に重要で、基部にはアウグストゥスの言葉が刻まれ、壁にはラテン語とギリシャ語で彼の偉業が記されています。5世紀になると、ビザンティンによって教会に改造されました。
ローマ浴場跡 :ウルス地区のチャンクル通りにあります。フリギダーリウム(冷浴室)、テピダーリウム(微温浴室)、カルダーリウム(高温浴室)があり、ローマ浴場の典型的な特徴を備えています。この浴場は、医学の神であるアスクレーピオスを讃えるため、カラカラ帝(3世紀)の時代に作られました。現在では基礎部分と1階部分のみが残っています。
ユリアヌスの柱 :ウルス地区にあるこの柱は西暦362年に建てられました。ローマ皇帝であったユリアヌス帝の来訪を記念して作られたといわれています。高さは15メートルで、柱頭には木の葉の飾りが施してあります。
共和国のモニュメント
:1927年にウルス広場に建立されました。アタチュルクとトルコ国民が独立戦争で自由を勝ち取ったことを記念するモニュメントです。
栄えある未来を讃えるモニュメント:ギュヴェン公園にあるこのモニュメントは1935年に作られ、「誇りを持ち、よく働きそして自分を信じなさい」というアタチュルクの国民への言葉が刻まれています。
勝利のモニュメント
:1927年にスフヒエ地区のザフェール広場に建立された、軍服を着たアタチュルクのモニュメントです。
ハッティ・モニュメント :近年スフヒエ地区に建てられました。この印象深いモニュメントには、ハッティの神のシンボルが飾られ、古代アナトリアの人々を讃えています。
■芸術と文化
アンカラはオペラ、バレエ、ジャズ、モダンダンスの中心地で、有名なプレジデンシャル・シンフォニー・オーケストラの本拠地でもあります。また、野心的な作品を上演する劇場もたくさんあります。
公営、私営のギャラリーでの展覧会に加え、アタチュルク文化センターでも展覧会が催されています。
国内外の映画を上映する映画館も多く、さまざまなテーマに沿ったフィルム・フェスティバルも年間を通じ数多く開催されます。
毎年4月と5月には国際芸術音楽フェスティバルが開催され、トルコや諸外国の第一線の音楽家たちの公演が行われます。4月23日のチルドレン・フェスティバルも盛大で、世界中各地の子供たちが参加します。
アルトゥン公園では、年中楽しい催しが繰り広げられています。
■ショッピング
旅行者が好む昔ながらの商店は、ウルス近くのチュクルクチュラー ヨクシュにあります。銅細工職人(バクルチュラー チャルシュス)の通りは特に有名で、銅製品に限らず、宝石、絨毯、衣類、骨董品、刺繍品など、古い物から新しい物までいろいろなものが見つかります。
城門に向かって丘を登ると、香辛料、ドライフルーツ、ナッツなどあらゆる種類の食品を扱う商店が建ち並び、新鮮な物を大量に購入できます。
クズライ、クルムショッピング・モールのあるトゥナル ヒルミ通り、チャンカヤのアタクレタワーは、近代的なショッピング・エリアです。アタクレのてっぺん(125m)からは、街全体が見渡せ、壮大な眺めが楽しめます。また、回転レストランもあり、360度の風景が気軽に楽しめます。

アンカラからコンヤ方面に25km南下すると、
ギョルバシュ湖
があります。美しい風景で知られ、湖岸には美味しいレストランもあります。
アンカラの15km南西にある
インジェク
は、アンカラ市民に人気の行楽地で、果実の木々や緑の生い茂るエリアやピクニックエリアがあります。
ピクニックには、
カラギ㏍旧ホ
もおすすめです。この湖へはアンカラから空港への道を68km北上し、チュブック方面に曲がります。
市の回りにある、
チュブック
(チャンクル高速道路沿い15km)、
クルトゥボーアズ
(イスタンブール高速道路沿い50km)、
バユンドゥル
(クルッカレ高速道路沿い15km)の3つのダムは、水泳やピクニックに最適です。レストランもあり、バユンドゥルには設備の整ったキャンプ施設もあります。散策を楽しむには、3つの森林があります。
市の南、クルシェヒール高速道路沿い(54km)には
ベイナム森林
、北のイスタンブール高速道路沿い(82km)には
クズルジャハマム ソーウクス国立公園
があり、この道をさらに行くと(110km)
チャムコル森林
があります。ピクニックに適した美しい場所がたくさんあり、都会の喧噪を逃れるには理想的です。
エルマダー山
(標高1,855m)は、アンカラから23kmに位置し、町からもその姿が臨めます。この山に降る初雪が冬の到来を告げると、リゾートセンターではスキーやウィンタースポーツのシーズンがはじまります。
■温 泉
アンカラ地方には、
クズルジャハマム カプルジャ
(80km)、
ハイマナ カプルジャ
(72km)、
アヤシュ カプルジャ
(57km)、
ドゥトゥル カプルジャ
(85km)の4つの温泉施設があります。どこも快適な設備が整い、ストレス解消に最適です。温泉には、リラクゼーション効果だけでなく、さまざまな効用があります。

アンカラからハイマナ高速道路を60km行った
デレキョイ
近くの
アトゥガヴルカレシ
には、ヒッタイトの寺院の屋外遺跡があり、墓とヒッタイトの神の2つのレリーフが見学できます。
アナトリアで最も重要なフリギアの遺跡はアンカラ近郊のエスキシェヒールとアフヨンにあります。アンカラの南西105kmのエスキシェヒール高速道路沿いにある
ヤススホユック(ゴルディオン)
は、フリギアの首都で、アレキサンダー大王がゴルディアン・ノット(結び目)を切断し、アジアへの道を開いた場所です。
また、触れる物をすべて黄金に変えたミダース王の古墳を訪れることもできます。近くには、発掘中の古都ゴルディオンの遺跡と小さな博物館があります。
同じくアンカラ-エスキシェヒール道路の脇には、フリギアの重要な宗教的儀式が行われた
バルルヒサール(ペッシヌス)
があります。
最も歴史的価値のある遺跡は、キュベレーを祀った寺院の遺跡です。女神キュベレーへの信仰はフリギアの文化の核をなしています。屋外の小さな博物館には、興味深い
彫刻や墓石があります。ミダスの街
には、崖を切り開いた2つの巨大なファサードがあり、かつては壁がんにキュベレー信仰のための像が祀られていました。この一帯には、岩の墓があり、砂の色をした岩には洞窟のような穴があけられています。この場所から下にある谷までは、地下通路が作られています。
アスランタシュ
と
アスランカヤ
は、フリギア時代に宗教的儀式が行われた場所です。アフヨンの34km北にあるアスランタシュには、2つのライオンのレリーフがあります。
アフヨンから52kmのアスランカヤには、寺院とライオンのレリーフが残っています。その他のフリギアのモニュメントは、
ドーアンルカレ、キュムベット、デヴェボイヌ
にあります。
エスキシェヒールは、フリギア人によって紀元前1000年に
ポルスク川
のほとりに作られました。見るべき建物は、13世紀のアラエッティン・モスクと16世紀のクルシュンル・モスクです。4つある博物館はいずれも訪れる価値のあるものです。
考古学博物館には、付近から発掘されたフリギアの遺物や彫刻が展示されています。海泡石パイプ博物館では、海泡石で作られたパイプやその他の工芸品を展示しています。
19世紀のトルコの典型的な建築様式で建てられたイェシル エフェンディ オットマン ハウス博物館では、地域の民芸品や海泡石を保存するための炉などがあります。
アタチュルク文化博物館にはアタチュルクの写真や所持品、海泡石の製品などが展示してあります。世界最高の海泡石(白くて軟らかい石)は、エスキシェヒール周辺の鉱山で採掘されます。パイプやその他の工芸品は街の土産物店で買うことができます。
わき水による湖
サカルヤバシュ
は美しい公園に囲まれ、新鮮な空気と新鮮な魚料理を求めて多くの旅行者がやってきます。
シヴリヒサール
の魅力は、街を優雅に彩る典型的なオスマンの家並みです。もともとは隊商宿であった13世紀のウルモスクとアレムシャーの霊廟は興味深く、足を運ぶ価値があります。絨毯とキリムに詳しい人は、シヴリヒサールのキリムの素晴らしさに気づくはずです。
シヴリヒサール近くの
ナスレッティン ホジャ村(ホルトゥ)
にあるナスレッティン ホジャ美術館には、民芸品だけでなく有名な滑稽家にまつわるエピソードや絵が紹介されています。
セイイットゥ バッタル ガジ
の丘の上には、「イスラムの戦士」セイイットゥ バッタルを祀った13世紀のモスクと墓が建てられています。
ユヌス エムレ村(サルキョイ)
には、13世紀の偉大なる詩人ユヌス エムレの墓があります。彼の詩はいまでも広く知られ、その愛と慈悲のメッセージが色褪せることはありません。街では毎年5月にユヌス エムレを記念する行事が開かれています。また、彼の墓のそばにはその生涯と作品を讃えた小さな美術館がつくられています。

紀元前3世紀に
チャンクル
にあるガラテヤの植民地は、
ガングレア
と呼ばれており、この名が後に
カングリ
となりました。
11世紀の要塞であった750mの遺跡からは街を一望することができます。街では、16世紀にトルコで最も偉大な建築家シナンによって建造されたウルモスク(スルタン シュレイマン)が、オスマン時代を偲ばせます。また、1235年に建てられた中世の病院であるタシュ メスジットが街のすぐそばにあります。
チャンクルの北には、美しい
ウルガズ国立公園
とスキーセンターがあります。公園では、プールや緑、カフェのある
カドゥン チャユル
が最もくつろげる場所です。
チャンクルの南西15kmの
エルディヴァン
の近くにある
ビュルビュルプナル
には緑の茂みやピクニックコースがあり、絵画的な風景を楽しむことができます。

クルッカレ
は、アンカラの東部と黒海を結ぶ主要道路沿いにあり、急速な発展を遂げている産業の中心地です。
ここには、古代ハルイスと呼ばれていた
クズルルマック
川が流れています。川べりでは、牧歌的な風景に囲まれたレストランでのんびりした午後を過ごしたり、静かな
ジェラルバヤール公園
を訪黷驍アとができます。銃器博物館には、地元の銃工場で作られた様々な種類の銃器が展示してあります。
高速道路の分岐点を過ぎて東側の道は、アンカラから217kmのヨズガットに向かいます。18世紀にオスマンによって作られたこの街には、当時の貴重な建造物が2つあります。シュレイマン ベイモスクと隣接するチャパノールモスクです。19世紀のニザモール邸はトルコの建築様式の興味深い一例で、現在は民芸品が展示されています。ユスフ カルスルオール邸考古学博物館には、ハッティ、ヒッタイト、フリギア、ローマ、ビザンティンの遺物があります。
街の南、数kmの地域は、
チャムルック国立公園
に指定されています。
初期のヒッタイトの主要な遺跡は、チョルム地方のヨズガットとチョルム市の間に位置する
ボアズカレ国立公園
にあります。王の門、ライオンの門、イェル カプ(地下トンネル)のそばにある印象的な二重壁は、今日ではボアズカレとして知られているヒッタイトの都市
ハットゥシャシュ
を取り囲んでいます。ヒッタイトの宗教の中心地であったこの都市は、寺院の街として知られ、70を超す寺院がありました。最も大きな遺跡は、嵐の神であるテシュップの巨大な寺院跡です。アクロポリスには、行政を行う建物、皇帝の宮殿、ヒッタイトの皇帝の公文書館がありました。街は、紀元前1180年にフリギアによって破壊されましたが、遺跡の徹底した発掘調査の後、町の壁が大規模に再建されました。
ヤズルカヤ
は屋外の岩でできたパンテオンで、紀元前13世紀に作られました。ここには、ヒッタイトの神と女神のレリーフが残っています。
ボアズカレの北チョルムに向かう道路沿いにある
アラジャヒュユック
は、青銅器時代にヒッタイト文明が華開いた場所です。アンカラのアナトリア文明博物館に収められている金と銅でできたヒッタイトの荘厳な遺物は、当時の王の墓から出土しました。スフィンクスの門などの当時の建造物はアラジャヒュユックに残っています。
チョルム
は、アナトリア中部と黒海を結ぶ道路上にある重要な都市で、国内で最良のヒヨコマメの産地です。歴史的な建造物には、13世紀のウルモスクと19世紀の時計台があります。
チョルムとアマスヤの間にある小さな
メルジフォン
の街には、チェレビ スルタン メフメット メドゥレセ(神学校)やカラ ムスタファ パシャモスクなどのオスマンのモニュメントがあります。
イェシルルマック(ウリス)川
の峡谷には、紀元前3世紀の
アマスヤ
遺跡があります。オスマンの宮殿と秘密の地下道の残る城跡は、ごつごつした岩の上にあります。街を見おろす岩に刻まれたローマ時代の岩の墓は、夜になると火が灯され、壮観な風景を作り上げています。アマスヤの周囲の美しい自然と壮麗な古代の建造物が一体となり、この街はトルコで最も美しい街の一つであると言われています。
観光名所の中でも、13世紀のセルジューク時代のブルマル ミナレモスク、トルムタイの墓、ギョク メドゥレセ神学校、正面に愛らしいレリーフのある14世紀のイルハニッドゥ病院、15世紀のベヤジット
I世モスクと珍しい八角形のカプ アー メドゥレセ神学校は見逃さないでください。
イェシルマック川の北岸のハトゥニイェ地区(ヤルボユ)にある伝統的なトルコの住居のコナックは、元の壮麗な姿に復元され、ゲストハウスになっているものもあります。なかでもひときわ美しい19世紀のハゼランラー コナーウは、一階部分がアートギャラリーになっており、二階部分が民俗博物館になっています。考古学博物館には、アマスヤのモンゴル イルハニッドゥの統治者のミイラをはじめ、地域の遺品の興味深いコレクションがあります。川縁に建ち並ぶカフェ、レストラン、ティー・ガーデン、公園は、町のロマンティックな雰囲気を楽しめる落ちついた場所です。
チャカルラー丘
の上からは街の美しい眺望を楽しむこともできます。
アマスヤの50km北東にある壮大な山々に囲まれた、
ボラバイ湖
は日帰り旅行に最適です。また、アマスヤの周りには、世界で最も美味なリンゴが実る果樹園があります。
同じくイェシルマック川沿いの
トカット
には、セルジュークとオスマンのモニュメントがあり、街の風景に荘厳な絵画のような趣を与えています。主要な歴史的建造物には、28の塔を持つ城跡、11世紀のガリプレールモスク、セルジューク時代の橋があります。トカットで最も美しい建築物のひとつである13世紀のペルヴァネ ベイ ガリュシュシファス(ギョック メドゥレセ)は、現在、考古学博物館に保存されています。
地域の商業の中心地であるトカットには、タシュハン、スルハン、ヤージュオール ハヌ、ガジ エミール(ヤズマジュラール)ハヌなど、交易のための倉庫が多く残っています。商館、霊廟、バザール、浴場が通りに建ち並ぶ街の中心部のスル通りを歩くと、トカットの建造物の美しい町並みが楽しめます。ガジ エミール(ヤズマジャラール)ハヌには、300年の伝統を持つトカットの名物でもある木版刷りの布が多数あります。
彩色されカーブした木を使った伝統的な装飾とペンキを塗られた壁が、トカットのコナック(邸宅)を非常に上品に彩っています。19世紀のマドゥマーウン ジェラリン コナックとラティフォール コナックは、かつての美しい姿に復元され、100年前のトルコの田舎での豊かな暮らしぶりを偲ばせます。
トカットの69km北東にはかつてダニシュメンドゥ エミルスの首都であった
ニクサール
があります。ここには、保存状態の良い城、チョレーイ ビュユックモスクをはじめとする初期のトルコのモニュメントがあります。12世紀に建てられたチョレーイ ビュユックモスクの表玄関は、美しいカーブを描く石で作られています。
アマスヤの南、トカットの西には
ジレ
があります。ここは、戦いで早々と勝利をおさめたジュリアス・シーザーが、トカットの地元の素晴らしいワインを一気に飲み干した後で有名な「来た、見た、勝った」という報告をした場所です。街を守る城の下には1269年のウルモスクが復元されています。
商業の重要な拠点である
シワス
は、中世にペルシャとバグダットへ向かうキャラバンの分岐点に作られました。1142年から1171年にはダニシュメンドゥ エミルスの首都がおかれ、セルジューク時代にも非常に重要な都市でした。現存する建築物がシヴァスのかつての重要性を物語っています。ウルモスクはダニシュメンドゥ時代のものですが、セルジュークによって建てられた、13世紀のイゼッディン ケイカヴス シファハネシ(病院と医学校)、装飾の美しいギョク メドゥレセ神学校、2本のミナレットのあるチフテ ミナレ メドゥレセ神学校、ブルジイェ メドゥレセなどは、すべて当時の美を象徴する建物です。
1919年にシワスで行われた国民議会で、トルコを外国人による占領から解放するという決定が下されました。この議会が開かれた19世紀の建物は、現在修復されてアタチュルク議会博物館となっています。ここでは、民俗誌学上の展示の他に独立戦争に関する展示も行われています。考古学と石造物の美術館であるブルジイェ メドゥレセ神学校には、地元の出土品とレリーフの刻まれたイスラムの墓石があります。19世紀のアカイラール住居博物館は民俗誌の博物館となっています。また、街では素晴らしいシヴァスの絨毯を手に入れることができます。シワスの絨毯は古くから有名です。
シヴリアラン
村には、当地で生まれ生涯を過ごした有名なトルコの詩人であるアシュック ヴェイセル(1884~1973)を偲んで作られたアシュック ヴェイセル博物館があります。
シワスの68km南の
カンガル
は、トルコで最も一般的な犬-カンガル(ガラテヤの犬、ガラテヤ人とともに3世紀にやって来ました)の故郷です。この黄金の毛色をした犬は牧羊犬として、また警察犬や番犬として活躍しています。
カンガルの12キロ北東には、有名な温泉
バルクル カプルジャ
があります。36度のお湯には、重炭酸塩、カルシウム、マグネシウムが含まれています。大地から湧き出る水の中では、皮膚病を治すといわれる小さな魚が沢山泳いでいます。
シワス地方には、ほかにも有名な
スジャック チェルミック
(温泉)と
ソーウク チェルミック
(冷泉)があります。
かつてビザンティン帝国の前哨地点だった
ディヴリーイ
は、12、13世紀にメンギュジェック エミルスの首都となりました。都市部からは離れたところにありますが、ウルモスクや1229年のメドゥレセ(神学校)を見に旅行者がやってきます。セルジュークの石づくりの建造物は、正面に施された動物や植物の彫刻が特に見事です。この地は、UNESCOの重要文化遺産に指定されています。

古代に作られた
クルシェヒール
は、中世になってアヒ教団の本拠地となりました。この教団はイスラム教の一派で、そのモラルと社会的な理念はアナトリア地方において精神面や政治面に非常に大きな影響を与えています。
この街にはセルジューク時代の素晴らしい建造物が数多くありますが、なかでも1272年に作られたジャジャベイモスク(かつての天文台)、1230年に作られたアラアッディン・モスク、アヒ教団の創始者の墓のそばにあるアヒ エヴランモスクは見逃せません。
街の外れ、カイセリへの道路沿いにモンゴル統治時代の1333年に建てられた美しいアシュク パシャの霊廟があります。クルシェヒールの考古学博物館には主にカレホユックからの出土品を展示してあります。
クルシェヒール地方の
カマン
周辺は、カレホユックでの遺物発掘の中心地で、現在も作業が続けられています。
カレホユック
の近く、ハッティとヒッタイトの居住地はトルコで最も大きな公園の一つである三笠宮記念庭園になっており、33種類の16,500本の木が生えています。
ネヴシェヒールとカッパドキアへ向かう道路は、14世紀に
ハジ ベクタシュ ヴェリ
がベクタシュ スーフィを確立した町ハジベクタシュを通っています。ここには霊廟やモスクとともに、教団の教義である愛と慈悲に従う旋舞修道僧たちの住む修道院がありました。現在、これらの施設は博物館として一般に公開されています。
このあたりで豊富にとれる蜜やバラの色をした瑪瑙は、この教団の信者によって使われたためハジベクタシュストーンとも呼ばれています。街では素晴らしい瑪瑙のみやげものが手に入ります。
考古学民俗誌学博物館も一見の価値があります。
この地方の首都である
ネウシェヒール
は
カッパドキア
への入り口です。
街には、一番高い丘の上にあるセルジュークの城と偉大なヴィジエール ダーマット イブラヒム パシャのために建てられたクルシュンルモスクなどの歴史的な建物があります。モスクとともに神学校、病院、図書館もあります。中庭にある沐浴用の噴水には当時の銘文が残っています。ネヴシェヒールの博物館には、地元の工芸品が飾られています。
300万年前
エルジイェス山
(3916m)と
ハッサン山
(3268m)の巨大な噴火により、ネヴシェヒールの回りの高原は石灰華、溶岩を含んだ軟らかい石、灰、泥で覆われました。風と雨によってこの脆い岩が侵食され、赤、金、緑、グレーなど色とりどりの円錐形やキノコ型の岩、穴の空いた峡谷など壮観で現実離れした風景ができあがったのです。
ローマ時代にカッパドキアとして知られていた
ギョレメ国立公園
は、周辺の自然を損なうことなく人間の手の入った世界でも珍しい地域です。岩をくり貫いた住居は紀元前4,000年に作られたものです。
ビザンティン時代には教会や修道院が岩に穴を掘って作られ、その金色のフレスコが周辺の風景の色を反射しています。今日でも、円錐岩の洞窟住居と火山のトゥファでできた家は、周りの風景に違和感なくとけ込んでいます。
ユルギュップ
は洞窟住居が作られた岩の麓にある人気の観光名所で、カッパドキア観光の足場とするにはうってつけです。ユルギュップでは、岩の家での人々の暮らしぶりを知ることができます。
絨毯やキリムを買いたい場合は、街に数多くの絨毯屋があり品揃えも豊富です。彼らは、客にお茶やコーヒーやワインをすすめながら会話を楽しみ、絨毯と同じようにカラフルです。観光や買い物で飽きたらなければ、ディスコもあります。
また、ワインの名産地として、ユルギュップでは毎年10月に国際ワインフェスティバルを開催しています。
ユルギュップを過ぎて南へ行くと、人里離れた
パンジャールルック渓谷
に着きます。
ここにはあざやかなフレスコ画の描かれた12世紀の教会と10世紀に建てられた
ケペズ
教会があります。素朴な、
ムスタファパシャ(シナソス)
の村に入ると、曲線を描き装飾を施されたファサードが別の時代を思わせる伝統的な石の家があります。
さらに南へ進むと、ケシュリック渓谷への道の西側に
ジェミル
の村があります。
ケシュリック渓谷には、修道院と、フレスコ画で飾られたカラ キリセとメイヴァル教会があります。
幹線道路に戻ると、タシュクンパシャの村があります。ここには、14世紀のカラマニッドゥモスクと霊廟や神学校の正面玄関の遺跡が街の片隅にあり、散策が楽しめます。
次の
シャヒネフェンディ
村の小道を500m東へ行くと、フレスコ画の美しい12世紀のクルクシェヒトゥレールの教会があります。
ユルギュップの50km南の
ソーアンル
は、数多くの礼拝堂や教会、ホール、家屋、墓地のある絵のように美しい谷です。8世紀から13世紀に描かれたフレスコ画を見ると、ビザンティンの絵画技術の歴史を知ることができます。
ユルギュップの4km北の壮観な
デヴレント渓谷
では、岩が風雨によって侵食され、尖塔、円錐形、方尖塔形になっており、妖精の煙突と呼ばれています。
2km西の
チャタルカヤ渓谷
にある妖精の煙突は、独特なキノコの形をしており、街のシンボルになっています。
ギョレメ屋外博物館
は、フレスコ画で飾られた岩窟教会と礼拝堂の集まりです。ここは、トルコ中央部で最も有名な場所の一つです。
礼拝堂のほとんどが10世紀から13世紀(ビザンティンからセルジューク時代)に作られたもので、その多くに4本の柱に支えられた中央の丸天井があります。教会の北側には岩を彫って作られた墓があります。
ギョレメ
で一番有名な教会は、最も小さく最も新しいエルマル教会、忌まわしい蛇がとぐろを巻いたフレスコ画の印象的なユランル教会、バルバラ教会、チャルクル教会です。中心から少し離れると、新約聖書の場面を描いた美しいフレスコ画のあるトカル キリセ(バックル教会)があります。
ギョレメの街は円錐形の岩と妖精の煙突がある谷の右手にあります。ここには、岩の中に作られたカフェ、レストラン、ゲストハウスなどもあります。店では、たくさんのラグやキリムが売られています。
道に沿ってギョレメの外に出ると、この地域で最も美しい谷があります。角を曲がる度におとぎ話から飛び出てきたような形の岩が現れ、時の流れに思いを馳せながら長い間見とれてしまいます。
ウチヒサール
要塞のてっぺんからは、この地域全体が見渡せます。ウチヒサールの狭い通りに立ち並ぶ店には、ラグ、キリムなどの人気のある土産物が豊富に取り揃えられています。
ギョレメの北側の道沿いにある
チャヴシン
には、後陣の3つある聖ジョンのバプティスト教会と修道院があります。街には、礼拝堂と教会があり、岩で作られた住居には今でも人が住んでいます。
チャヴシンから
ゼルヴェ
には、妖精の煙突が並んでいます。残念ながら、侵食によって基礎部分が削り取られているため、ゼルヴェ渓谷の教会に入ることはできません。
クズルルマック川沿いにある
アワノス
は、魅力的な建物が並び、手工芸品が有名です。毎年8月に、この街では創造的で陽気な芸術観光フェスティバルが開催されます。
ここでは陶器が最も有名で、工房で陶芸を体験することもできます。織物や組み紐もまた作られるようになりました。アワノスを南に下ると、セルジューク時代の隊商宿の残るサルハンがあります。
ネヴシェヒール-ユルギュップ間の道路沿いにある、
オルタヒサール
と洞窟要塞も見逃せません。
バルカン渓谷
の教会はギョレメ地方でも最も古い時代の物です。ハルラッチ渓谷の近くには、ハルラッチ修道院が10、11世紀から谷を飾っています。
オルタヒサールの北の
クズルチュクール渓谷
は非常に美しく、特に夕暮れ時には息をのむような素晴らしさです。谷には9世紀のウズムリュ教会があります。
カイマクル、マズ、デリンクユ、オズコナック
の地下都市は、迫害から逃れた7世紀のキリスト教徒によって使われていました。彼らはビザンティンの偶像破壊運動などの迫害を避けこの安全な隠れ家に逃げ込んだのです。これらの都市には穀物の貯蔵庫、馬小屋、寝室、台所、通気口などが完備されていました。今日では、明かりも灯され、カッパドキアツアーに欠かせない魅惑的な場所となっています。
アワノスの西にある
ギュルシェヒール
はヒッタイトの碑文が刻み込まれた岩があり、近くの
ギョクチェテペ
にはゼウスのレリーフがあります。ネウシェヒールを南へ進むと、13世紀の聖ジョンの教会があり、さらに奥には洞窟の教会と礼拝堂のあるアチュクサライがあります。
山を越えて、カッパドキアの西にはローマ時代に
カイザリア
として知られた
カイセリ
があります。
この街は死火山である
エルジイェス山
(標高3,916m)の裾野に広がっています。冬になると、スキーに最適なゲレンデができ、スキーヤーのための快適なホテルもオープンします。
ビザンティンの要塞近くにはアナトリアに作られたセルジューク時代の最初の宗教複合施設である最初のセルジュークコンプレックスがあり、13世紀のフアントゥ ハトゥンモスクと神学校、マフペリ霊廟があります。神学校は現在、民族誌学博物館となっています。
コンプレックスの南には、簡素なつくりのセルジュークの古い様式でありながら、美しく装飾された1276年のドネール キュムベットがあります。セルジュークの主要都市であったカイセリは、教育の中心地でした。このため、遺跡の中には神学校が多く見られます。
セルジュークの建築様式に興味を持たれた方はチフテ(グヤシイェとシファヒイェ)神学校を訪ねてみてください。ここはセルジューク最初の解剖学の学校で今日ではゲヴヘール ネシベ医学史博物館となっています。そばには、美しいサハビイェ
神学校があります。
街の屋根付き市場の近くにあるのは、復元された12世紀のウルモスクです。チフテ メドゥレセ神学校の北にあるハジ クルチュモスクは、1249年に建てられたものです。
ジュムフリイェット地区では19世紀のレシット アーア邸にアタチュルクの所持品が展示され、アタチュルク博物館となっています。アタチュルク博物館の向かいには、歴史のあるギュプギュポール邸が民族誌学博物館となっています。
カイセリの南にある、
デヴェリ
には、ウルモスク、セイイッディ シェリフの墓、デヴェリの墓の3つの重要なセルジューク時代の遺物が残っています。
スルタン湿地
のそばは様々な鳥類の生息地であり、鳥類学者や自然を愛する人にとっては興味深い場所です。
カイセリの北、古代
カネッシュ
または
カルム
と呼ばれていた
キュルテペ
は、ヒッタイトの初期の商業都市の一つです。紀元前2000年以来キュルテペは、世界で最も古い自由貿易都市の一つでした。しかし今日では、基礎部分しか残っていません。出土品の多くはカイセリの考古学博物館に保存されています。
さらに進むと、
スルタンハン
があります。ここには、13世紀初期にセルジュークのスルタンアラッディン ケイクバットによって作られた隊商宿があり、旅行者の人気を呼んでいます。
カプズバシュ滝
はカイセリの76km南にあります。この美しい自然の中には30から70mの高さから落ちてくる7つの泉があります。
カイセリは、アナトリアで最も重要な絨毯とキリムの産地です。最も有名な絨毯の産地は
ビュンヤン
、最も有名なキリムの産地は
ヤフヤル
です。しっかりと織られた花柄のラグは何世紀も昔からの伝統品です。カイセリの絨毯は地元の絨毯店で手に入ります。
ヒッタイト時代のナヒタ、今日の
ニーデ
は火山の麓の谷にあります。かつてはアナトリアから地中海沿岸への交易ルートを支配していました。ニーデの城はセルジューク時代そのままの姿をとどめています。また、同時代の優雅なアラディンモスクもあります。
モンゴルの支配下にあった14世紀のスングル ベイモスクと塔の形をしたアナトリアの典型的な様式のヒュダヴェンドゥ ハトゥン霊廟も残っています。15世紀のアク神学校は考古学博物館になっています。
エスキギュミュシュ
から10km先には、ビザンティン時代の修道院と巨大な柱地とフレスコ画のある教会があります。10、11世紀のこれらのフレスコ画はこの地域でもっとも美しく保存されています。
ニーデの南にある
ボール
はかつてのヒッタイトの集落でした。街の歴史的建造物には、セルジューク時代のアラディンモスク、オスマン時代の屋根付き市場があります。
さらに南に進むと、重要なローマの都市
ティヤナ
であったケメルヒサールがあります。数キロ先にヒッタイトの遺跡とローマ時代の水道橋があります。
登山、トレッキング、リラクゼーションに最適な美しい
アラダーラール(アラ山脈)国立公園
は、ニーデの南東50kmに位置しています。最高峰はデミルカズック(3756m)です。公園を訪れるには、
チュクルバー
から入ることをおすすめします。
ウルモスクをはじめ、
アクサライ
の歴史的建造物の多くは14世紀のものです。クズルのミナレットはその煉瓦でできた豪華なつくりでひときわ目を引きます。
周りには、最も有名なセルジューク時代の隊商宿が2件残っています。街の40km西にはセルジュークのスルタン アラディン ケイクバットによって建てられた
スルタンハン
隊商宿がそのまま残っています。また、ネヴシェヒール方面に15km行くと、
アーズカラハン
隊商宿があります。
ウフララ谷
の
メレンディズ川
は、土手が侵食されてできた印象的な渓谷です。
フレスコ画で覆われたビザンティン時代の礼拝堂は、渓谷をくり貫いて作られています。よく知られているものには、アーアチャルトゥ(ダニエル)教会、ユランル(アポカリプス)教会、スムビュルリュ(ヒヤシンス)教会があります。
ギュゼルユルトゥ
の谷にもまた、先史時代から人々が住んでいました。
街に冠をかぶせたような
ハッサン山
のシルエットはとても綺麗です。谷の地下都市、岩をくり貫いて作った施設、建築物、教会、礼拝堂、モスクはカッパドキアと同じような特徴を示し、歴史的な繋がりを感じさせます。
有名な観光地であるギュゼルユルトゥの人々は親切で、宿泊施設やレストランも充実しているため快適な旅ができるでしょう。
ヒルファンル ダム湖
のほとりの
エヴレン
には、魚介類のレストランがあり、水泳も楽しめます。

コンヤは、現在もなお人々が住み続けるトルコ最古の都市です。ローマ時代にはイーコニウムとして知られていました。12世紀から13世紀にかけての、セルジュークトルコの首都であり、トルコでは主要な文化の中心地のひとつです。文化的、政治的、宗教的に発展を遂げていた時代にメヴラーナ・ジェラルディン・ルミが西洋では旋舞祈祷として知られるスーフィ 教団をつくりました。緑のタイルの鮮やかなメヴラーナの霊廟は、コンヤで最も有名な建物です。霊廟とッじ敷地には、かつての祈祷所であった建物も残っています。この建物は現在博物館として、メヴラーナの写本など教団にまつわる神秘的な工芸品などが飾られています。毎年、12月の前半に旋回祈祷の儀式が盛大に行われます。統制の取れたトランス状態の旋回や白い衣装をまとった男たちのセマーは見る物を神秘の世界へ誘い込みます。
アラアッディン・モスクは1220年に古代のコンヤ城の敷地内に建てられました。この時代の統治者であった偉大なセルジュークのスルタンアラアッディン・ケイクバルトはコンヤ一帯を支配していました。モスクの一角には、セルジュークの宮殿の跡があります。現在は博物館となっているカタライ神学校では大胆で華やかなセルジュークの陶器を目にすることができます。
モスクの反対側には、1258年に建てられたインジェ・ミナーレがあり、正面口のセルジューク時代の素晴らしい装飾が目を引きます。セルジューク時代の物としては、その他にスルチャル神学校とサーヒップ
アタコンプレックスがあります。コンヤを訪れた人は、その考古学博物館のすばらしさに目を見張るでしょう。コユノール博物館には、自然史に関する展示から古いキリムまで非常に幅広いコレクションがあります。博物館の敷地内には、イゼッティン コユノールの家が復元され、裕福なコンヤの家庭生活の様子を再現しています。
コンヤの10km北のシルレには、ビザンティン時代のアヤ
エレニ教会とフレスコ画で飾られた洞窟礼拝堂があります。北西にあるアクシェヒールは13世紀に滑稽家のナスレッティン
ホジャが生まれたところとしてトルコ中に知られ、街には彼の霊廟があります。13世紀のウルモスクとアルトゥンカレメスジディも一見の価値があります。サーヒップ
アタの霊廟は街の博物館となっています。
ベイシェヒールへ向かって南下する途中に、湖のほとりにあるエフラトゥン プナールに立ち寄ると、ヒッタイトの珍しいモニュメントである噴水を目にすることができます。トルコで3番目に大きな湖であるベイシェヒール湖のほとりにあるベイシェヒールの周りにはセルジューク時代の興味深い建物があちこちにあります。湖の南西は自然がそのまま残るベイシェヒール湖国立公園になっています。モニュメントには、エシュレフォールモスクと神学校、湖の反対側にある夏用のクバッドゥーアバッドゥ宮殿があります。クバッドゥーアバッドゥ宮殿の向かいのクズカレシ島には、中世の城がもうひとつ建っています。ハジ アキフ島は訪れる人にやすらぎと楽しみを与えてくれます。
コンヤの45km南にあるチャタルヒュユクは紀元前8000年の新石器時代の集落で、世界で最も古い街の一つです。考古学者は泥でできた家の屋根に空けられた穴が出入口であったと推測しています。アンカラのアナトリア文明博物館には、有名な寺院(復元)とともに現地から出土した女神像や新石器時代のフレスコ画が展示してあります。
コンヤの東96kmのカラプナール周辺には、火口湖が数多くあります。最も有名なものはカラプナールの7km南東にある美しいメケ
クレーター湖です。エレーリへ通じる道の北側には、カラプナールから8kmのところにアジュ クレーター湖があります。湖の真ん中に浮かぶ島は、自然の宝庫です。コンヤ地方で最も大きな都市の一つであるエレーリの周りには、甘い実のなるイエロー・チェリーの木があります。エレーリの考古学博物館にはヒッタイト、ローマ、ビザンティン、セルジュークの各時代の工芸品が並んでいます。
コンヤの東168km、エレーリの南18kmに位置するヒッタイトの集落イヴリズでは、トルコで最も優れたヒッタイト後期の作品である王と豊饒の神のレリーフを目にすることができます。
かつてカラマン管轄区域の首都であったカラマンは、ペルシア語ではなくトルコ語を公用語として採用したトルコで最初の地域です。そして初めてトルコ語を使った13世紀の偉大な詩人、ユヌス
エムレはまさにこの地に住んでいました。周囲を取り囲む要塞はセルジューク時代のものですが、街で一番目立つアラボール、ユヌス
エムレとアクテッケのモスク、ハトゥニイェ神学校はカラマニッドゥの時代に作られたものです。
コンヤから150kmのカラマン地方は、「1001教会地区」と呼ばれており、謎の多い神秘的な土地です。傾斜のなだらかな丘と谷に山々がそびえ、修道院、教会、礼拝堂が至る所にあります。写真を撮ったり、自然の中を散歩したり探検するにはうってつけの場所です。この地域では、ヒッタイトの村落と記念碑などの遺跡が多数見つかっています。この地方で最も高い山はカラダー山(2288m)で、地元の人々には天使ミカエルの古い呼び名であるマハラッチュと呼ばれています。山の頂上には、ヒッタイトが建設した寺院があり、祭壇には碑文が残されています。また、4世紀の修道院、教会、礼拝堂からなるコンプレックスの跡もあり、名前をエンジェル
マイケルコンプレックス(天使ミカエルの複合施設)といいます。ここからは美しい眺めを楽しむこともできます。
カラマンから45kmのマデンシェヒールでも、カラダー山の北斜面に教会と礼拝堂の遺跡があります。
カラマンの北30kmのデルベはキリスト教徒の初期の集落として歴史的にも重要です。ここは聖パウロが説教をしに来たところです。カラマンの東48kmのタシュカレの近くにはイェシルデレ渓谷のごつごつした北斜面にマナザンの興味深い古い都市の跡があります。ビザンティン時代に建設され、細い小道、家屋、広場、貯蔵庫、礼拝堂、墓地(3kmの長さがあり、5階分の高さがあります)など街全体が谷の岩肌をくり貫いて作られています
。今日でも街の一部が穀物の貯蔵庫に利用されています。
カラマンの南の険しい小道を上がっていくとビザンティン時代の美しい修道院であるアラハンの遺跡が残っています。また、信仰のために岩が削られている箇所もあります。この光景は溜息が出るほど壮大です。

アンタルヤでは松の緑に覆われたトロス(タウロス)山がきらめく紺碧の海に迫り、ごちごつとした岬と静かな入り江の入り組んだ複雑な海岸線を作り出しています。年間300日も太陽が輝くこの地域は、日光浴、水泳、ウィンドサーフィン、水上スキー、ヨット、登山、洞窟探検などの様々なスポーツが楽しめるパラダイスです。3月か4月にアンタルヤを訪れると、午前は山でスキー、午後は暖かな地中海の海で泳ぎを楽しむこともできます。松林、オリーブやオレンジの果樹園、ヤシ、アボガド、バナナのプランテーションが広がる風景の中にいくつも点在しています。
トルコのリビエラはトルコ観光のメッカです。観光客用のホテルからデラックスなホテルまで幅の広い宿泊施設とアンタルヤの暖かな人々に迎えられて、楽しく快適な休暇をお楽しみいただけるでしょう。
コントラストのはっきりとした目を見張るような景色のアンタルヤは、トルコの代表的なリゾート地で、ヤシの並木の続く大通りと第1級のマリーナのある魅力的な町です。絵のように美しく昔の面影を忍ばせるカレイチ地区は、狭くて曲がりくねった通り、木造の古い家屋が古代の城壁と隣接しています。
紀元前2世紀、ペルガモン王アッタロス2世がこの町を開いてアッタレイアと名づけて以来、アンタルヤはつねに繁栄してきました。この町はローマ帝国、ビザンチン帝国、セルジュク朝と次々に占領された後、オスマントルコ帝国による支配が始まりました。
町の中心部にあるイヴリ・ミナーレ・モスクのエレガントなフルートのような形の尖塔は、セルジュク朝のスルタン・アラアッディン・ケイクバットゥによって13世紀に建てられたもので、アンタルヤのシンボルになっています。これと同じ頃に作られたカレイチ地区のカラタイ・メドレセ(神学校)はセルジュクの石の彫刻の最高傑作です。
この町の最も重要なオスマントルコ時代のモスクは、タイルの装飾がすばらしい16世紀のムラット・パシャ・モスクと18世紀のテケリ・メフメット・パシャ・モスクです。マリーナの隣には、天然の泉の上に4本の柱を建て、その上に切り出された石で造られた19世紀後半の魅力的なイスケレ・モスクがあります。フドゥルルック塔はもとは2世紀に灯台として造られました。ケシク・ミナレット・モスクは、ローマ、ビザンチン、セルジュク、オスマントルコの4つの時代、続いたこの町の長い歴史を物語っています。
130年、ハドリアヌス帝がアンタルヤを統治した記念に、美しい3つのアーチでおおわれた門が城壁の中に造られました。マリーナの近くにはこの門と城壁の他の部分を分ける2つの塔が今でも残されています。カレカプス広場にある時計塔も古い要塞の一部です。 アタチュルク公園とカラアリオゥル公園に立つと、色鮮やかでエキゾチックな花々が咲き乱れ、目の前には光り輝く海、後ろには山が連なり、その豊かな自然の美しさにアンタルヤがこれほど人気のあるリゾート地になったわけがおわかりいただけるでしょう。東海岸のアクア・パークではウォータースライダーなどあらゆる種類のウォータースポーツが楽しめます。
賞に選ばれたこともあるアンタルヤ・カレイチ・マリーナとジャー・センターは、トルコで有数の美しいマリーナです。このセンターにはたくさんの土産物屋やカフェ、レストランがあり、ヨットの停泊もできます。午前はヨットに乗り、午後はマリーナで静かなひとときを過ごし、夜にはライトアップされた古い城壁を訪ねると、一日が静寂と悠久の雰囲気の中で過ぎていくことでしょう。
考古学博物館には旧石器時代からオスマントルコ時代の遺物が展示されていて、この地域の豊かな歴史の一端を覗かせてくれます。アタチュルク博物館にはトルコ共和国の建国の父アタチュルクの愛用品が展示されています。
(両博物館とも日曜、月曜休館)
秋に催されるアンタルヤ・アルトゥン・ポルタカル(金のオレンジ)・フィルム・アート・フェスティバルには、大勢の参加者と観光客が集まります。アスペンドスの古代劇場はフェスティバルやコンサートの会場として使われ、すばらしい舞台効果をあげています。アンタルヤでは毎年、宝石フェアも開かれています。

夢のような景色、崇高な山々、目を見張るような色合いの海と植物。これほど魅力的な所が他にあるでしょうか? 活動的な休日と古繹竦ユの静寂とを組み合わせて、すばらしい休暇をお楽しみください。アンタルヤ周辺にある豊富な観光スポットの中から日帰り旅行のコースをいくつかご紹介しましょう。
アンタルヤの北東14キロにある「上のデュデン滝」では、滝の後ろを歩くというスリルあふれる体験ができます。ララ・ビーチへ向かう途中、「下のデュデン滝」が海に急激に流れ落ちています。近くにある休憩所からは滝のすばらしい眺めが楽しめますが、海からの眺めはもっと壮観です。クルシュンルの滝とニリュフェル湖はともにアンタルヤから18キロの所にあり、すばらしい自然の美に目を奪われるでしょう。
東に12キロ進むと、砂浜の続くララ・ビーチがあります。西に向かうと、コンヤアルトゥ海岸があります。この長く伸びた小石の浜からは息を飲むような美しさの山脈が眺められます。さらに少し先にあるベイ山地(オリンポス)国立公園とトプチャム・ビーチからは一段とすばらしい展望が開けます。スチャンは美しい自然の島です。自然の美の中にもう少し浸っていたいと思ったら、公園の北端にキャンプ場があります。トゥネクテペ・ヒルの頂上にある休暇村と回転式のレストランまでドライブすれば、ここ一帯の絶景パノラマを一望に見ることができます。
アンタルヤから50キロのサクルケントは、高度1750~1900メートルのバクルル山の北側の斜面にある理想的なウィンタースポーツのリゾート地です。3月から4月には、午前中はスキー、昼食はアンタルヤのマリーナでおいしい新鮮な魚料理、午後は日光浴、水泳、ウィンドサーフィンとそれぞれ存分に楽しめることでしょう。
アンタルヤの北、デュズレルチャム公園内には、保護を受けている野性の鹿とシロイワヤギがいます。途中、深さ115メートルの目を見張るようなギュベル・キャニヨンに立ち寄ってもいいでしょう。
アンタルヤから30キロのチャン山の東側にあるカライン洞穴は、旧石器時代(紀元前5万年)のもので、トルコの最も古い集落地の1つです。朝日に照らされるたった1つの入口の奥には3つの大きな部屋があり、内部で繋がっています。入口の小さな博物館でも発掘物の一部を展示していますが、ほとんどはトルコ各地のいろいろな博物館に保存されています。
アンタルヤの北西の国立公園ギュルルュク山(ソリモス)の山間にあるテルメッソスの都市遺跡は、山の西側の1050メートルの高原に点在しています。この遺跡の周りには自然のままのすばらしい風景が広がっています。(公園の入口に自然と野生生物の博物館が建てられる予定です)

自然のままの風景や動植物で有名なギョルレル・ボォルゲシ(湖水地方)は、アンタルヤの北150キロの山岳地域にありまキ。ブルドゥルは美しい湖と絨毯やキリムでトルコ中に知られています。
この町には、オスマントルコ時代を代表するすばらしい建築物、タショオダ、コジャオダ(チェリクバシュとしても知られている)、ムスルルラル・コナクス(大邸宅)などが残されています。17世紀に建てられたこれらの建築物は内装、外装ともにオスマントルコ様式の美にあふれています。(日曜、月曜休館)ブルドゥル考古学博物館にはこの地域周辺の非常に重要な美術工芸品が展示されています。(日曜、月曜休館)
ブルドゥル湖は泳ぎに最適なすばらしいビーチがいくつかあり、ウォータースポーツが楽しめます。スサムルック・ヒルの頂上に登ると、町と湖を一望のもとに見下ろすことができます。アンタルヤから南10キロほどのインスユ洞穴は、長さ597メートル、中には9つに分かれた池と、鍾乳石と石筍で埋まった部屋がいくつかあります。
ブルドゥルから南西100キロのギョルヒサール(シビラ)には、ほぼローマ時代のもので、北部リュキア人の重要な古代都市の遺跡があります。この遺跡には競技場、2階建てのアゴラ(集会所)、劇場、共同墓地、大きな水道橋などがあります。海抜1050メ-トルの山地のこの地域には、美しいサルダ湖もあり、砂浜や湖畔のカフェ、ホテル、レストランでゆっくりとくつろぐことができます。
ブルドゥルとウスパルタの間、アーラスンの近くにはローマ時代にピシディアの都市サガラッソスがありました。このローマ時代の遺跡には、入口の門、列柱の並んだ道、アゴラ、寺院、壮大な劇場などがあります。
タウラス(トロス)山脈の高地にあるウスパルタは湖の町で、春と夏には岸辺に野性の花が咲き乱れます。1417年にセルジュクによって建てられたウル・モスクは是非訪れて頂きたいところです。屋根つきの市場ベデステンは、1561年から開かれています。ピルデブス・パシャ・モスクは、16世紀にオスマントルコの偉大な建築家シナンによって建てられたものです。14世紀のウスパルタ城もお見逃しなく。化粧品用のバラのオイルを生産するバラ園が町のあちこちに見られ、甘い香りが立ちこめています。他にお土産品には分厚いループ式のウスパルタ絨毯などがあります。近くの丘にある、キラズルデレ地方とシドレ地方ではのんびりと景色を楽しめるでしょう。ウスパルタの南、芳香を放つ松林に囲まれたギョルジュク湖は、何と海抜1405メートルの高さにあります。
エイルディル湖の南端にあるエイルディルは、牧歌的な自然の中にあります。人工的な記念物としては、リュキア王クロイソスによって建てられたエイルディル城があり、ローマ帝国、ビザンチン帝国、セルジュク朝、それぞれの時代を通じて増築や改築がくり返されてきました。近代社会の変化を黙って見つめてきたセルジュク・ケメルリ・ミナーレは、現在は道路の真ん中に建っています。湖畔のレストランではこの地域のお勧め料理、ホワイトバスを味わってみましょう。遊歩道が海岸からエイルディル島まで続いているので、島を訪れてみると織機を組み立て、家の外で機織りをする人の姿が見られます。
湖の西側、丘の上にあるバルラのゲストハウスは、のんびりするには最高の所です。エイルディル湖の南30キロのところにあるコバダ国立公園は、素朴で涼しい山の避暑地であるコバダ湖周辺の地域です。
ウスパルタの北東、ヤルヴァチは、古代都市ピシディアン地方のアンティオキアの近くにあります。聖パウロと聖バルナバは46年にこの地を訪れました。この町の大理石の通りを歩きながら、聖パウロの教会堂、水道橋、アウグストゥス寺院、劇場、公衆浴場を散策すると、当時が忍ばれます。ヤルヴァチの考古学博物館には、この地域の美術工芸品が展示されています。お土産品には観光客向けに作られた皮製の服や動物の皮で作られた珍しい伝統的な皮製品があります。ヤルヴァチの東、カラクユ・ヒルの頂上には月の神(男性だといわれている)の聖地があり、そこからの眺めは絶景の一言に尽きます。ヤルヴァチの南、クズルダー国立公園には、巨大な杉林があり、このあたりはトルコでも有数のすばらしい景色の1つに数えられています。

トロス(タウラス)山脈の山々が海岸のすぐ後ろにそびえ立つ。コンヤアルト・ビーチからクルラングッチ半島までの全域は、国の自然保護地区で、ベイ山地(オリンポス)国立公園になっています。古代のリュキア半島であったこの地域の歴史は、新石器時代からベルディビへの入植にまでさかのぼります。
アンタルヤから42キロ、すばらしい山の景色の中を走り抜けるとケメルに着きます。このリゾートタウンは周りの景色との調和を考えてデザインされた町で、すてきな休暇を過ごすにはもってこいの所です。設備の整ったケメル・マリーナにはあらゆる活動の施設があり、町の南の自然のままの湾やビーチではヨットを楽しむことができます。高級な土産物が豊富にあり、ショッピングも楽しめます。
マリーナの北にある海岸の遊歩道には、カフェや売店から直接、浜まで降りて行ける階段がついています。ケメル・ビーチは「ブルー・フラッグ」ビーチです。「ブルー・フラッグ」という言葉はEU(ヨーロッパ連合)が造ったもので、きれいな浜という意味です。
ヨリュク(遊牧民)テーマパークでは、職人が伝統工芸品を作っているところを見学できます。パークに隣接した湾は、各種スポーツ施設や娯楽施設が松林の間に点在する楽しく魅力的な所です。4月は色鮮やかなケメル・カーニバルの月です。また、春には、ケメルから北キプロス・トルコ共和国のギルネまでヨットレースが行われます。
ケメルの北にあるクズルテペ、ギョイニュク(ブルー・フラッグ)、ベルディビ(ブルー・フラッグ)、南にあるチャムユワ、テキルロワ(ブルー・フラッグ)は、様々な活動の楽しめる観光の中心地です。休暇村はすべて周りの森との調和を考えてデザインされています。
ケメルから南15キロのタフタル山(オリンポス)の麓にあるファセリスの3つの港は、かつては商業の中心地として栄えました。水道橋、アゴラ、浴場、劇場、バドリアヌスの門、城砦の遺跡は、この町の歴史の厚さを感じさせます。南の港から見上げるタフタル山は実に壮大な眺めです。静かな砂浜は絶好の遊び場で、海は穏やかで安全に泳ぎが楽しめます。
オリンポスの古代都市は、タフタル山の南側にあります。きょう竹桃と月桂樹の茂みに覆われたオリンポスの谷へは、陸からも海からも行くことができます。静かな池の水面には光が戯れ、浴場のモザイク模様を引き立てます。寺院の門や劇場は、古代からのもので、湾の周りの外壁と塔は中世のものです。
チラル・ビーチの上、オリンポスの北にヤナルタシュ山(高度300メートル)があります。神話によると、ここでリュキアの英雄ベルレロフォンは翼のある天馬ペガサスに乗って、火を吐く怪獣キメイラを退治したということです。この場所で地中から漏れるガスが夜、明るく燃えることから、ビザンチン帝国の時代もここは聖地でした。
オリンポスの南のチャブシュ湾には穏やかな海と砂浜が広がっています。ここでは穏やかな海で水上スキーをしたり、色鮮やかな海の生物を見つけたり、北部の海岸で洞窟を探検したりして楽しむことができます。オリンポスの西の玄関、フィニケ港はオレンジの木々や果樹園に囲まれています。砂浜は東に広がり、西には岩の多い湾や入り江が続きます。
古代リュキアの都市リミラは、フィニケからトゥルンチョオワを通り10キロ内陸に入ったところにあります。女像柱で飾られた紀元前4世紀のペリクレスの霊廟は、古代芸術の傑作です。城壁とローマ劇場も興味をそそることでしょう。
この道路をさらに進むと、アリカンダというリュキアの都市があります。トルコで有数の美しい谷を見下ろす山の上にあり、広大な遺跡にはアゴラ、劇場、競技場、会議所、水道設備、浴場、点在する石棺などがあります。
古代にはミラ(フィニケの西25キロ)と呼ばれたデムレ(城塞)には、見事な彫刻の施されたたくさんの墓が堂々としたローマ劇場を見下ろすように建っています。聖ニコラウスは4世紀に地中海のこの町の主教を務め、342年にここで亡くなりました。毎年、12月にはサンタクロース記念祭が開かれ大勢の観光客が訪れて、クリスマス休暇を古代リュキアの陽光ふりそそぐこの海岸で過ごします。デムレの西、ダルヤナーズ(古代の港アンドリアス)には、水泳と日光浴に最適のビーチがあります。
ケコワはダルヤナーズから船で1時間の島であり、絵のような島々、たくさんの湾、古代の都市が集まった地域の総称でもあります。これらの湾は1年中天然の港となり、特に自然のままの景色の中でヨットを楽しむことができます。ケコワ島の北部の海岸沿い、アポロニアでは古代に地震が起こり、家々を澄んだ水の下に沈めてしまい、「海底都市」を作りました。カレキョイ城(シメナ)からは、数多くの湾や入り江、島々、ぬけるように透き通った水面を静かに進んでいく色とりどりのヨットのすばらしい眺めを楽しむことができます。
ケコワから西に進むと、三方を山に囲まれた美しいカシュに着きます。親切な地元の漁師が快く船に乗せてくれ海岸沿いのお好みの湾や入り江、砂浜に連れていってくれるでしょう。カシュ周辺の透明な冷たい水は水泳やダイビングに最高です。カシュはかつて古代アンティフェロスとして知られていましたが、今は岩を削ったリュキア人の墓と石棺が残されているだけです。しかし、町の魅力はそのまま残されていて、通りをぶらぶらと歩いてトルコの工芸品や皮製品、銅、銀製品、綿の服、有名な手製の絨毯などを売っている土産物屋を覗くのも楽しみです。
ショッピングの後は花の咲き乱れるアクデニズ遊歩道を歩いたり、ヤシの木陰で一休みしましょう。カシュではバーやレストランでナイトライフも楽しめます。町周辺の山々でもいろいろなスポーツや景色が楽しめます。森を抜けて遠くの村や古代遺跡を訪ねてみるのも一興です。元気いっぱいの人はこの地域の最高峰クズラル・シブリシ山(3086メートル)か2番目に高いアクダー山(3030メートル)に登ってみるのもいいでしょう。景色のいいカルカン道路沿いのカプタシュには美しい浜辺があり、その端には「トルコ石の洞穴」があります。
西に少し進むと、小さな湾を見下ろすこじんまりとした美しい丘の上の町カルカンがあります。古風で趣のある白塗の家、よろい戸を閉めた窓、通りまで垂れ下がっている美しい花で飾られたバルコニーが並ぶこの町は、静かな休暇を過ごすにはうってつけの町です。狭く曲がりくねった通りには土産物屋が並び、魅力あふれるマリーナまで続いています。毎朝、船が忙しそうに観光客を近くの浜辺や小さな入り江に運びます。日が沈んだら、屋上のテラスに集まり、夕食前に一杯飲みながら、ヨットの往来やマリーナのにぎわいを一望の下に眺めるのがカルカン流の過ごし方です。
曲がりくねった山道を下ると、古代リュキアの主要な港パタラに着きます。神話によるとここはアポロの生まれた所で、歴史の資料によるとこの町は聖ニコラウスの生まれた所だとも言われています。もちろん、たくさんの興味深い遺跡があります。パタラにはすばらしいビーチもあります。22キロに及ぶ真っ白な砂浜が見渡す限り広がり、どんなビーチスポーツにも絶好の場所です。この遠く離れていまだによく知られていない町は自分だけの隠れ家を見つけたような気分にさせてくれます。
現在はトルコの村クヌクで古代リュキアの首都サントスは、パタラの北18キロにあります。劇場、ハルピエスの墓、ネーレーイスの記念碑、アゴラ、銘碑などリュキア、ローマ、ビザンティン時代の遺跡が一緒になって独特の雰囲気を醸し出しています。6キロ先のリュキアの聖地レトゥーンには、神話でお馴染みの神々、レートー、アポロ、アルテミスに捧げられた3つの寺院があります。

アンタルヤの東には、広々とした肥沃な平野が果てしない砂浜に並行して、アランヤまで続いています。ここには多くの近代的な観光施設や保存状態のよい遺跡がありAいろいろな楽しみ方ができます。
古代パンフィリアの重要な都市であったペルゲ(アンタルヤから18キロ)には、初めは紀元前1500年頃、ヒッタイト人が定住していました。聖パウロが最初に説教をしたのもこの地です。
劇場のステージには見事な彫刻が施された大理石のレリーフがあり、この町の周辺から発掘された他の彫刻は競技場に展示されています。両端に2つの塔が高くそびえ立つ美しい門や、かつてはモザイクで舗装されていて、店がずらりと並んでいた列柱のある長い道路、大きなアゴラ、公衆浴場、体育館などを見学すると、考古学に興味を覚えるでしょう。
アンタルヤから40キロの所にあるベレックは、近代的で豪華なホリディ・センターで、ゴルフのパラダイスです。水泳や日光浴も楽しめます。ベレックにあるナショナル・ゴルフ・クラブは18ホールの選手権コースと9ホールの練習コースの他に、様々なウォーター・スポーツ施設があります。最高のトルコ料理を味わい、夕方には野外のディスコで踊りを楽しむこともできます。
キョプリュリュ川にかかる美しいセルジュク橋を越えると、アスペンドスです。道路はアスペンドス宝石センターから15000人を収容できる保存状態のよい古代劇場、アスペンドス劇場へと続きます。この劇場は現在も使われていて、観客席やステージの装飾、音響効果はみごとです。その近くには教会堂やアゴラ、アナトリアで最大の水道橋の遺跡があります。アスペンドス宝石センターでは砂金から工芸品が作られる過程や宝石に彫刻を施す方法、大きなワークショップでは宝石を作るあらゆる過程が見られます。
アンタルヤの北東、脇道にそれてタシャーウル、ベシュコナク方面に向かうと、景色のいい道がキョプリュリュ・キャニヨン国立公園に続いています。曲がりくねった道が小川を渡り、原生林を抜けて走ります。右に左にターンするたび目の前には美しい風景が開けてくるので、ゆっくりとドライブが楽しめます。アンタルヤから92キロのこの公園は、動植物の多い自然のままの美しい谷です。キャニヨンはキョプリュリュ川に沿って14キロも広がり、深さ400メートルに及ぶところもあります。休憩所にはあちこちに魚料理を食べさせるレストランがあります。峡谷にかかるローマ時代のオルク橋とコジャデレ川にかかるブゥリュム橋は、古代の面影を忍ばせてくれます。
この公園から古代都市セルゲに足をのばしてもいいし、この山脈の最高峰2922メートルのデデギョル山にも行けます。曲がりくねった山道を進むと、キョプリュリュ・キャニヨン国立公園の北西にある重要な古代都市ピシディアであったアルトゥンカヤ(セルゲ)に着きます。950メ-トルの高地にあるこの商業都市には、城壁、塔、貯水池、ゼウスの神殿、アゴラ、競技場、劇場、体育館、共同墓地が残されています。
歴史学者によると、セルゲはアンタルヤと直接、商取引を行い、繁栄したということです。マナヴガットの滝は高さこそありませんが、乳白色の泡立った水が岩の上に力強く流れ落ちています。滝の隣には、木立ちの中にティーガーデンやレストランがあり、涼しく心地よい休憩所になっています。特に一日の観光の後にはもってこいの所です。船に乗ってマナヴガット川をさかのぼり、この美しい地域をさらに探訪することもできます。
トルコの最も有名な古代都市の1つ、シデはザクロという意味の名前がついた古代の港でした。現在はすばらしいリゾートタウンで、古代の遺跡、2つのビーチ、たくさんの店、広大な観光客用の宿泊施設などがあり、大勢の観光客が訪れます。海の見えるカフェやレストランがたくさんあり、狭い通りに並んだ店では皮製品や有名な美しい金の装身具など典型的なトルコの工芸品が売られています。列柱のあるアーチの上に作られた古代都市の壮大な劇場は、この地域最大のものです。(改築のため閉館)他にはアゴラ、海の近くのアポロ神殿、泉、共同墓地などがあります。広いローマ浴場は現在は美術館になっていて、トルコでも有数の考古学のコレクションが展示されています。
シデの東、松林の中にあるソルグンのリゾート地、ティトレイェン・ギョル(ブルー・フラッグ)とクズラーチは宿泊施設も十分あり、砂浜ときらめく海で人気を呼んでいます。また、リラックスした雰囲気で、いろいろな活動が楽しめます。
シデの西、クムキョイ、チョラクル、カメルヤのホリディ・センターは太陽と海が楽しめ、近くに遺跡もあります。シデの北東15キロにあるパンフィリアのセレウジア(ブジャクシュフラル)は、ローマ浴場、寺院、教会、廟、劇場、アゴラなどの遺跡がよい状態で保存されています。
大変有名で興味深い洞窟が、アイデュンケント(クブラドゥ)の南東12キロ、マナヴガットの北55キロにあるアルトゥンベシュク洞穴国立公園内にあります。湖や洞窟内のおもしろい岩層、石灰華、小川などがあるこの地域は、実に興味深い所です。アルテュンベシュク洞穴はマナヴガット川の谷の西側斜面にあり、ウリュンリュ村から行けます。この村はこの地域を訪ねたら是非寄ってみたい所です。
13世紀のキャラバンサライ、アララファンは、セルジュク朝のアラエッディン・ケイクバトゥ帝によってアララ川の岸に建てられたものです。近くの丘の上に立つアララ要塞からはこの地域全体が見渡せます。
人気のある広大なリゾート地アランヤは、地中海に突き出た岩の多い岬の突端にあり、岬の両側には長い砂浜が広がっています。岬にはこの海岸で最もすばらしい眺めの1つである13世紀のセルジュクの要塞がそびえ立っています。よく保存された二重の壁を持つ要塞は、およそ150の塔が引き立てています。外側の壁の内側にはモスク、キャラバンサライ、屋根つきの市場の遺跡があり、内側の壁の手前には壊れた貯水池やビザンチン時代の教会があります。
アランヤの歴史はローマ時代にまでさかのぼりますが、1220年、スルタン・アラエッデン・ケイクバットゥがここに冬の城を構え、海軍の基地にしたときからセルジュク王朝のもとで栄えました。現在まで残っている建物を見ても、セルジュク時代のこの都市の重要性がわかります。印象的な要塞の他にも、ユニークな造船所や八角形のクズル・クレ(赤い塔)は一見の価値ありです。
アランヤは近代的なホテルやモーテル、魚料理のレストラン、カフェ、バーなどが立ち並ぶホリディの一大拠点です。港を取り巻くカフェは、観光客の集まる人気のスポットで、美しい公園から海岸に沿って港まで伸びる道路には観光客相手の数え切れないほどのブティックが並び、工芸品、皮製品、服、宝石、ハンドバッグ、この地方のシンボルである楽しい色塗の瓢箪などが売られています。8月にはアランヤには国際色豊かな国際民族際が開かれるので、活気あふれる陽気な雰囲気が漂います。
探索を楽しみたい方は、神秘的で奇妙な岩層を見にダムラタシュ洞窟を訪ねてみましょう。近くには考古学民族誌博物館があります。(日曜、月曜休館)燐光を発する岩のあるフォスフォルル洞窟、海賊が女性の捕虜を監禁したクズラル洞窟、そしてアシュクラル洞窟の3つの洞窟は船で訪ねることができます。
ぎらぎらした太陽に疲れたら、アランヤから東15キロにあるディム・チャユ・バレーに日帰りで行くことをお勧めします。美しい景色の谷に下りて日陰でゆっくり休み、谷川の流れる音に耳を澄ませば、身も心もすっかりリラックスできるでしょう。アランヤから西に約25キロ行ったアブサルラル(インジェクム)は美しい砂浜のあるリゾート地です。アランヤから東、ガージパシャの方向に向かうと、すばらしいビーチを見つけ、きっと時間を忘れてたたずむことでしょう。
アランヤの東30キロにある、古代の港ロタペであったアイタップは、ローマ時代の遺跡と静かなビーチや湾があり、是非訪ねてみたい所です。
地中海沿岸東部
ローマ帝国の将軍アントニウスは、アランヤからシリアの国境までの美しいキリキアの海岸を結婚祝としてクレオパトラに与えました。また、タルスス出身の聖パウロもこの地域の歴史と深く関わっています。現在では、この地域は豊富な穀物を産する肥沃な土地と人々の暖かいもてなしで知られています。
市場用の野菜栽培園が密集したメルシンは、イチェル地方の中心地であり、トルコの地中海沿岸東部の中ほどにあって、ヤシの並木の通りや市の公園、近代的なホテルの立ち並ぶ姿は訪れる人の心を浮き立たせてくれます。ここを拠点にすると、近くの遺跡や数え切れないほどたくさんの海岸へ足をのばすことができます。
メルシンは急速に発展した都市であり、トルコの地中海沿岸で最大の無課税港です。ここから北キプロス・トルコ共和国のガジマゴサ(ファマグスタ)までカーフェリーの定期便が出ています。魚市場では、安いレストランで捕れたての魚を味わってみましょう。他の郷土料理には、クルミの芯の周りにニンジンを巻いた菓子ジェジレや、肉の入っていないスパイシーなソースをかけた小さなピザ、ビベルリ・エクメクなどがあります。メルシンは外見は近代的ですが、古代都市のあった所なので、町の西3キロのところにあるユムクテペ・トゥムルスでは、新石器時代にまでさかのぼる継続的な定住地がいくつか発掘されています。

クレオパトラへの贈り物
メルシンからスィリフケまでの道路は、松林やオレンジの果樹園が広がる中を、海岸線沿いに延びています。片側には都市の遺跡や教会堂、墓など、反対側には砂浜のある小さな隠れた入り江がいくつ熨アきます。メルシンの西13キロ、ロ-ドス島の住民によって紀元前700年に建てられたビランシェヒル(古代ポンペイオポリス)には、かつてはメインストリートに並んでいたコリント式の柱が残っています。カンルディバネには古代カニテリスの遺跡があり、小さな寺院に似せた墓や教会、ローマ時代やビザンチン時代にさかのぼる石棺などがあります。都市そのものも遺跡もすべて深い穴の側にあります。
古代都市コリコスであったリゾート地、クズカレシにはすばらしい砂浜、モーテル、キャンプ場があります。海岸にあるコリコスの城と向かい合うように、もう1つの城塞クズカレシ(乙女の城)が200メートル離れた小島に建っています。かつてはこの2つの城塞は城壁によって繋がっていました。
クズカレシの先、小さな漁村ナルルクユの魚料理のレストランが並ぶ入り江には美の三女神を描いたローマ時代のモザイクがあります。さらに先には、「天国と地獄の洞窟」として知られているジェンネット・ジェヘンネムがあります。天国の洞窟には5世紀のチャペルの遺跡があります。その近くには石筍と鍾乳石のあふれた深いナルルクユ洞穴があり、湿った空気が喘息に効くといわれています。
スサノール・ビーチの北12キロ、パスル村の東2.5キロに恐れを知らない王の霊廟(メズギット・カレシ)があります。この廟の正面は高さが8メートル、コリント式の柱と土台には高さ1メートルのプリアポスのレリーフがあります。これは最大の霊廟でローマ時代のものです。
少し内陸に入ると、丘の麓にスィリフケ(メルシンから90キロ)の町が広がっています。頂上に要塞のある高台は、かつてはキリキアのセレウキアの城砦でした。町の中にはローマ時代の橋が、現在のギョクス川、古代にカリジャドノス川と呼ばれる川にかかっています。アタチュルクがかつて滞在した歴史的な家は、今は改修され民族学博物館になっています。タシュジュに向かう途中にあるスィリフケ考古学博物館には、この地域から発掘された遺物が数多く展示されています。スィリフケの北、ウズンジャブルチに向かう途中にあるデミルジリ(古代のウンブリオゴン)には、よく保存されたローマ時代初期の墓があります。
高度1200メートルにある壮大な古代都市ディオカエサレアであったウズンジャブルチまでの山道には、大きな墓が並んでいます。印象的なゼウスの神殿、テュケの神殿、アーチ型の記念碑、劇場、ビザンチンの教会、塔などの遺跡が目を引きます。東に4キロ行くと、ローマ時代の水道橋、劇場、泉などのあるオルバ(ウラ)の遺跡があります。短時間で回れる一見の価値のある所です。
スィリフケから海岸沿いの道路を南に進むと、メルイェムリク(アヤテクラ)に着きます。ここは最初の女性殉教者となった聖テクラの墓や教会のあるローマ時代の共同墓地です。
タシュジュは観光客用のりっぱな宿泊施設の整った、砂浜や港のあるリゾート地です。海上バスやフェリーの定期便がこの町と北キプロス・トルコ共和国のギルネを結んでいます。
タシュジュの西44キロにあるオバジュクは、漁港とビーチで知られる静かな所です。オバジュク半島(古代のカバリエレ)はトルコでも有数の自然の生み出した絶景で、ダイビングに最適です。キョスレリク湾とコスレリク島もダイビングにおあつらえ向きです。キョスレリク湾の海岸の先、オバジュクの南東18キロにあるアフロディシアスには、ローマ時代の遺跡と美しいモザイクがあります。オバジュクの西にあるアイドゥンジュクでは安全のためにセーリングの海域ははっきりと指定されていて、ヨットが息を飲むほど美しい海岸を行き交っています。海に向かって急降下する、松に覆われた山の斜面を縫うように進む海岸道路からは、断崖、入り江、地中海のきらめく青い海の広がるすばらしい景色が眺められます。
アイドゥンジュクからさらに西へ36キロ進んだボズヤズは、広いビーチに沿って清潔でゆったりとしたキャンプ場のあるホリディ・センターです。
保存状態のよい美しいアナムール城は2つのカーブを描いた砂浜の間にあり、すばらしい海岸線が眺められます。もともとは中世の十字軍によって建てられたものですが、後にはオスマントルコ軍の要塞として使われました。
スィリフケから138キロの所から数キロ内陸に入ったところにあるアナムールの町は、バナナのプランテーションに囲まれた山の中に埋もれています。町の西側の美しいビーチには、二重の城壁、劇場、音楽堂、浴場、共同墓地のある古代アナモリアムの遺跡があります。この遺跡は海から階段式になっていて、頂上まで上るとすばらしく美しい自然のままの海岸線を見渡すことができます。

聖パウロの足跡をたどって
メルシンの東、肥沃なチュクロワ平野の端に、聖パウロ生誕の地タルススがあります。古代からあるこの町は何度も侵略を受け、破壊されたため、興味深い遺跡はわずかしか残っていません。それらはローマ帝国の将軍アントニウスとクレオパトラがタルススに逢引に来たときに通り抜けたクレオパトラの門、古代の教会、オスマントルコのウル・モスクなどです。古い家並みの続く狭い路地を通りぬけ、聖パウロの井戸に出くわせば、過ぎし日の面影を忍ぶことができるでしょう。町の郊外にあるタルススの滝では、小川を眺め木陰で休んでのんびりとした午後のひとときを味わえるでしょう。カラブルチャク公園ではユーカリの森から芳香が漂ってきます。
チュクロワ(キリキア)平野の中央にあるトルコで4番目に大きな都市アダナは、豊かな農業地帯の中心地であり、新興の繊維工業の中心地でもあります。ハドリアヌス帝によって造られ、ユスティニアヌス帝によって修理されたタシュキョプリュ(石橋)は町の真ん中を流れるジェイハン川にかかっています。石橋のアーチはもとは21ありましたが、今も残っているのは14だけです。この町の見所は、16世紀のウル・モスク、エスキ・モスク、ハッサン・アー・モスク、19世紀の時計塔、古い屋根付きの市場などです。この地域で発掘されたヒッタイトとローマ時代の遺物を展示している考古学博物館、魅力あふれる民族学博物館、アタチュルク文化博物館も、是非訪ねてみたい所です。
1日の観光を終えたら、挽き肉を筒状に固めたスパイシーなアダナ・ケバブを味わってみましょう。黒カブから作ったシャルガム、グレープジュースの一種シュラなどの飲み物もあります。
この町の北にあるジェイハンダムと湖には、木陰の遊歩道や趣のあるティー・ガーデンやレストランがあり、暑さを避けるにはもってこいの所です。黄昏時に町の方を振り返ると、曲がりくねった静かな川がきらめく光に縁取られて紅に染まる様子が望めます。宿泊施設のある最も近いビーチは、ユムルタルクとカラタシュです。ユムルタルクには絵のように美しい漁港を見下ろすように建つ古代の港の城があります。チャムルク公園では漁師は景色を楽しみながら漁をしています。
アダナからイスケンデルンに向かう道路から離れた所、ヤカプナルの近くに、「絹の道」沿いにあるという地の利を生かして栄えた町ミシスがあります。ここにはノアの箱船や動物を描いた4世紀の美しいモザイクなどのローマ時代の遺跡がいくつかあります。道路をさらに進むと、ジェイハン川を見下ろす岩山の頂上にユランルカレ城の印象的な遺跡が見えてきます。ユランルカレの南、シルケリ地方には、ムバッタリシュがエジプトに向かう途中立ち寄ったことを示す、風雨にさらされたヒッタイト語のレリーフがあります。ジェイハンの北にはディレッカヤ(古代アナバルザ)の村があり、ローマ時代やビザンチン時代の都市と印象的な城が見られます。この町の小さな博物館にはローマ浴場から発掘された見事なモザイクが2つあります。
オスマニエはイスケンデルン湾の先端から内陸に入った所にある町ですが、そこから脇道に入ると、さらに2つの古代都市に通じています。カラテペへの道を進むと、古代ローマの都市ジャスタバラに着きます。ここには列柱の並んだ通り、劇場、浴場、丘の上の要塞などがあり、古代の昔を忍ばせます。カラテペ国立公園(新ヒッタイト人の定住地)にあるアシタワダ王の夏の城の遺跡、ヒッタイト語やフェニキア語で彫られた銘板、見事な浅浮き彫りのある野外博物館は、先史の文明の重要性と驚くばかりの美意識を今に伝えてくれます。
この地域では十字軍の時代に多くの戦いが繰り広げられ、トプラッカレの印象的な要塞はしばらく十字軍に占領されたことがあります。さらに歴史をさかのぼると、アレキサンダー大王はイッソス(ドルトヨル)平野で紀元前333年にダリウス3世率いるペルシャ軍を破りました。現在、この地域には大きな柑橘類の果樹園がたくさんあり、トルコ全土にオレンジ、タンジェリン、レモンを供給しています。
イスケンデルン湾の海岸沿いを走るハイウェイから離れたところにあるヤカジュク(パヤス)には、モスク、浴場、市場、キャラバンサライ、教会堂などのあるすばらしい16世紀のソコルル・メフメット・パシャがあります。他にはジンクレシ(ジンスの塔)や城があります。
かつてのアレクサンドレッタであったイスケンデルンは、アレキサンダー大王がイッソス平野でペルシャ軍を破った後に創った町です。現在はにぎやかな商業の中心地で、すばらしい港を持つ港町です。ホテルやレストラン、カフェなどが公園とヤシの木に囲まれた海岸に並んでいます。イスケンデルンのお勧め料理は、おいしいエビです。細かくした小麦に溶かしたチーズを混ぜて甘くした熱いデザートのキュネフェ、裏ごししたヒヨコマメとニンニク、パプリカで作った前菜フムスも是非味わいたいもの。お土産には手彫りの木製の銘板、椅子などの木製品がお勧めです。
イスケンデルンの南海岸にあるウルチェナール(アルスズ)のホリデイ・タウンにはすばらしいビーチ、ホテル、ゲストハウス、レストランがあります。
アンタクヤに向かう途中、幹線道路を離れた所に山のリゾート地ソーウコルクがあり、夏の避暑地として有名です。ベレン峠を越えたら、バグラス城に立ち寄ってみましょう。この城はビザンチン、マムルーク、十字軍によって何度も占領された城です。
アンタキヤ(聖書の町アンティオキア)は、壮大な山々に囲まれた肥沃な平野の中を流れるアースィ川(オロンテス)に沿った町です。かつてはセレウコス王朝の首都であったこの町は富と贅沢で有名な町でした。ローマ時代にも商業と文化が栄えました。この町はキリスト教の初期の時代に非常に重要な役割を果たしたので、聖バルナバ、聖パウロ、聖ペテロもこの地を訪れています。
アンタクヤ博物館はローマ時代のモザイクでは世界一のコレクションを所蔵しています。(日曜、月曜休館)このすばらしい石のモザイクはほとんどがアンタキヤやその近くのダフネで発掘されたものです。
町の郊外にある聖ペテロ洞窟は、聖ペテロが初めて説教をし、キリスト教コミュニティーを作った洞窟教会です。1983年にはこの教会はバチカンによって聖地に指定されました。活気あふれる市場やハビブ・ナッジャール・モスクも訪れてみたい所です。
洞窟の南にある「鉄の門」は、聖書の町アンティオキアの実際の入り口の1つでした。古い町並みを歩いてみると、聖パウロ、聖ペテロ、聖バルナバなどの聖人がこの通りを歩いたことが鮮やかに忍ばれます。それほどこの町は昔も今も変わっていないのです。
町の高台にあるアンティオキア城からは町と平野を一望の元に見渡すことができます。
アンタクヤの南にはハルビエ(古代のダフネ)があります。神話によると、アポロは木の精ダフネを恋人にしようとしましたが、ダフネはアポロから逃れるために、月桂樹に変身したと伝えられています。
この町はローマ時代には郊外の豪華な住宅地でした。果樹園、畑、月桂樹、滝などが自然も豊富です。料理もおいしく、10月にはハルビエ・デーツが旬になります。月桂樹の入った香ばしいスープも忘れられない味です。
アンタクヤから25キロのサマンダーは、素朴なビーチのあるリゾート地です。この町の北にあるセレウキア・ペリア(チェブリック)は紀元前300年に創建され、聖パウロや聖バルナバが初めて説教に訪れた頃にはにぎやかな港町でした。雨水をわきへ流すために作られたティトゥス・トンネルは、現在の水準から見ても、すばらしい建築物です。
カプスユ村までドライブすれば、ゼウスの神殿から古代の港、砂浜、肥沃な平野のすばらしい眺望を一望の下に見渡せます。
アンタクヤからシリアへは2本の道路が走っています。東のアレッポに向かう道路は開拓者の町レイハンルを抜け、南への道路はヤイラダーを抜け、ラズキエ、トリポリ、ベイルートに向かいます。

アナトリア南東部は壮大な遺跡が物語るように非常に豊かな歴史と文化的遺産を誇り 、一度は訪れたい場所です。その歴史は紀元前7,000年の新石器時代に遡ります。紀 元前2,000年から紀元前1,500年の間にはフリル人が定住を始め、紀元前1,200年ごろ にはヒッタイト人が定住し始めました。
フラット(ユーフラテス)川とディジェレ(チグリス)川を囲む神聖な土地には、土地の 先祖である予言者イブラヒム(アブラハム)が住んでいました。イブラヒムは、現在シ ャンル・ウルファと呼ばれているウールに生まれ、その後ウールの南のハランに移り 住みました。メソポタミアの重要な歴史的文化的都市であったハランでは、古代旧跡 の中で屈指の規模を誇る最も古い時代のイスラム大学の遺跡を目にすることができま す。18世紀の邸宅、キュチュックハジ ムスタファハジュカミロールコナーウの修復も完 了し、現在はアート・ギャラリーとなっています。メソポタミア平原を南から北へ旅 する場合に、最初に目にする高い山は美しいネムルト山です。標高2,150mのこの山の 頂にはコンマゲネ王のアンティオコスの墳墓があります。
この地域で最も重要な地区には、中世の軍事的な建築物を代表する城壁を誇るディヤ
ルバクル、個性的な建造物で知られるマルディン、後期ヒッタイトの都市の遺跡を残
す貿易と産業の重要拠点ガジアンテップがあります。
ウォータースポーツが楽しめる地域のリゾート地としてアタチュルク・ダム湖も計画
されています。湖の岸には多くのビーチがあり、メソポタミアの太陽の下で忘れられ
ない休日を過ごすことができるでしょう。

南東アナトリア・プロジェクトは、トルコで最も大規模で多面的な開発プロジェクト
であると同時に世界的にも最大規模の開発プロジェクトの一つです。
このプロジェク
トは広範囲に渡る潅漑システムと発電所を建設し、農業をはじめ観光、採掘、産油、
教育、健康、通信、産業、交通などのあらゆる方面の発展を促します。
南東アナトリア・プロジェクトはフラット川とディジェレ川の河口付近と二つの川に
挟まれた平地にあるガジアンテップ、シャンル・ウルファ、アドゥヤマン、ディヤル
バクル、マルディン、シイルトゥ、バットゥマン、シュルナックを対象としています
。
このプロジェクトは地域の気候にも変化をもたらすと考えられています。
トルコでは一番、世界でも六番目に大きなアタチュルク・ダムと水力発電所はシャンル
・ウルファのボゾワに建設されています。南東アナトリア・プロジェクトの主要な柱
となるアタチュルク・ダムは、発電だけでなく潅漑にも重要な役割を果たします。
フラット川のアタチュルク・ダムからの水はシャンル・ウルファ・トンネル・システ
ムによってハラン平原に運ばれます。
シャンル・ウルファ・トンネル・システムの全
長と流量は世界最大です。フラット川の水は長さ26.4km直径7.62mのトンネル内を通
って中央または側方の水路から南東アナトリア平原の広大な耕作地へ送られ、地域に
収穫と繁栄をもたらします。

トルコの南、シリアとイラクとの国境線に沿って旅をする場合は、ガジアンテップからシャンル・ウルファを経てマルディンに至る高速道路を進みます。
オリーブの林と葡萄園が広がる肥沃な大平野にあるガジアンテップでは、様々な農作物が収穫できます。特にピスタチオはトルコ中で有名です。工業も地元の経済に貢献しています。町の要塞の36の塔は元々ユスティニアヌス帝の時代に建てられ、後にセルジュークによって再建されました。
考古学博物館には新石器時代、ヒッタイト、ローマ時代の貴重な遺物が保管されています。今世紀初頭に建てられたハサン・スゼールハウスは美しく修復され、現在は民族誌学博物館となっています。
ガジアンテップは銅製品と真珠貝をはめ込んだ調度品でも有名です。また、ラフマジュン(スパイスのきいた肉とハーブをのせたピザ)やバクラワ(蜂蜜とナッツのペストリー)も名物です。
ガジアンテップの西にあるデュリュック森林は行楽に最適で、キャンプ地で一夜を過ごしたり、森の中にある先史時代のデュリュックの古代遺跡を散策することもできます。
イェセメックの中心にはかつてヒッタイトの彫刻学校があり、200にものぼる作品はヒッタイト芸術の美を今に伝えています。
シリア国境に接するフラット川の川岸にはかつて後期ヒッタイトの都であった重要な古代遺跡、カルガムシュがあります。巨大な浅浮彫りをはじめとする出土品は、現在、アンカラのアナトリア文明博物館に保存されています。
ベルクス(ゼウグマ)の遺跡はニジップの境界線上にあります。これは土手を要塞にしたもので、ローマ時代のモザイクは一見の価値があります。
トルコとシリアの国境線からガジアンテップへのルート上にあるキリスは、アッシリアの古文書によると古来キリジと呼ばれていました。この町は、綿や絹の織物と革製品で有名で、道沿いに葡萄園やオリーブの林が点在する非常に美しいところです。
近くには見所がいくつもあります。ラワンダ城はキリスとガジアンテップの間にあります。
カハラマンマラシュは、紀元前12世紀にはヒッタイトのグルグム州の首都でした。紀元前2世紀に作られた巨大な要塞には、町の博物館があり、優れたヒッタイトの彫刻を展示してあります。他には15世紀のウルモスクやタシュ神学校などがあります。アラビアゴムで固め木製のヘラでかき混ぜたカハラマンマラシュのアイスクリームはトルコ中で知られています。
アドゥヤマンの考古学博物館にはフラット川下流域で発掘された新石器時代と銅石器時代の遺物が保管されています。市場では色鮮やかに織られたキリムが手頃な価格で手に入ります。
周囲には、セルジュークによって再建されたアッバシッド要塞と14世紀のウルモスクをはじめとする歴史的建造物があります。この地域での石油の発見はアドゥヤマンに繁栄をもたらしています。

アドゥヤマンと、宿泊施設やキャンプ施設の整ったカフタはネムルトダー国立公園を訪れる際の絶好の拠点です。どちらの町からでも交通手段を得ることができます。
メソポタミア北部で最も高い標高2,150mのネムルトダー(ネムルト山)の頂上には、コンマゲネ王国のアンティオコス
I世によって紀元前1世紀に作られた巨大な墳墓があります。墳丘はアポロ、ゼウス、ヘラクレス、テュケー、アンティオコスの巨大な彫像が置かれたテラスに挟まれており、その建造技術には驚かされます。
時の流れによって彫像は大きなダメージを受け、美しい彫刻の施された頭部は胴体から離れてその足下に転がっています。
古代のエスキカレ(ニンフ@オスのアルサメイヤ)では、コンマゲネ王宮であったといわれる遺跡からヘラクレスがコンマゲネ王ミトリダテスを歓待する情景を描いた壮大なレリーフが出土しています。
エスキカレ川を挟んで反対側にはマムルーク人によって作られたイェニカレ(新城)の遺跡があります。
その他、近くのジェンデレにはローマ時代の橋があり、コンマゲネ王家のもう一つの墳丘、カラクシュもあります。

メソポタミア高地の大平野には、古代ウールと呼ばれ、その後エデッサと呼ばれていたシャンル・ウルファがあります。この町には、この地域で繁栄したすべての文明の遺物が揃っています。
最古の文明の遺物は紀元前7,000年のもので、シャンル・ウルファの北西70kmにあるカンタラ村で発見されています。近年の開発によって作られたダムや水力発電所と古代の寺院跡や9,000年前の新石器時代の集落が非常に対照的です。寺院は月を崇拝する信者らの信仰の拠点であったと考えられています。このような場所は今日でも世界中でここしか発見されていません。ここを訪れる人々は、古代の小さな偶像や神像と集落から出土した美しいモザイクを目にすることができます。
シャンル・ウルファの北東20kmの丘の上にはギョベクリがあります。集落自体は9,000年前のものですが、人工的に作られた丘の頂上付近はより深い層から発掘され、より古いものであると考えられています。古代の偶像の製作所と思われる場所もあり、工具とともに完成した人間や動物の偶像と未完の偶像が出土しています。
紀元前2,000年には、シャンル・ウルファ地域はヒュリットの町でした。アブラハムが生まれたという洞窟の近くには現在はメウリッドハリルモスクが建てられています。
今日ではこの洞窟は巡礼の地となり、入り口付近で祈る老年の男性を鳩の群が見守っているかのようです。小さな丘の頂上には城跡があり、城壁の遺跡の上にはコリント式の柱が2本だけぽつんと建っています。丘の麓には、神聖な鯉の泳ぐ静かな池の周りにハリル・ラフマンモスクがあります。
17世紀のオスマン時代のルドゥワニイェモスクとかつて十二使徒の教会であったフルフルルモスクも一見の価値があります。トルコでも屈指の考古学民族誌学博物館には、フラット川河口流域で発掘された新石器時代と銅石器時代の出土品が保管してあります。
シャンル・ウルファの町の雰囲気を味わうには、ドーム型の東方市場に立ち寄ったり、古いハンス(宿)の庭を散策することをお勧めします。ギュムリュックハヌとバルトゥチュハヌを探してみてください。これらのハヌは非常に興味をそそられるところです。
旧約聖書に登場する同名の古代都市と考えられているハランは、アブラハムが生涯の何年かを過ごした土地としてよりもその特異な蜂の巣型の住居で知られています。旧跡には、最大規模の古代のイスラム大学、8世紀の城壁、4つの門と要塞などがあります。GAPプロジェクトにより、ハランはトルコでもっとも肥沃な土地の一つとなっています。
シャンル・ウルファの80km西にあるビレジックはフラット川にまたがり、地平線は町の城壁に遮られています。宿泊施設やキャンプ施設も整い、休息をとるには最適の場所です。

古くはアミダと呼ばれていたディヤルバクルは、ディジュレ川の川岸に近い玄武岩の台地に広がっています。古い町を三重に取り囲む黒い玄武岩でできた城壁は、町に不気味な外観を与えています。
銘刻と浅浮彫りが施され、16の天守閣と5つの門がある長さ5.5kmのこの城壁は、中世の軍事的建造物を代表するものです。セルジュークの
スルタンメリック
シャーによって建てられたウルモスクは、ビザンティンに使用されていたことでも知られる古代建造物です。
近くのメスディイェ神学校の壁がんは地元の黒い玄武岩で作られています。ネビィモスクは典型的なオスマン様ョのモスクです。これに対し、サファモスクはタイル張りのミナレットにペルシャの影響を見ることができます。現在でも使われている3世紀の聖母マリアのアラム教会(メルイェマナ・キリセシ)も興味深い建物です。
初期のトルコの建築物を知りたいなら、文筆家であったガヒット・ストゥク・タランジュの修復された家を訪れてみてください。マルディン門近くのデリルレール・ハヌ(1527)はホテルに改修され、交易隊がディヤルバクルに立ち寄っていた頃の雰囲気を今に伝えています。
城壁の外の川辺には、現在は博物館となっているアタチュルクの家があります。町の南にある1065年に作られたディジュレ橋からは、ディジュレ川、橋、城壁を望む素晴らしい写真を撮ることができます。
ディヤルバクルの77km東に位置するシルワンでは、1185年に建てられた優美なウルモスクに立ち寄って、尖ったアーチ型の正面玄関を縁取る石彫の流れるような美しいラインをじっくりとご覧ください。
チャヨヌは、これまで発見された中で最古の部類に属する紀元前7世紀の新石器時代の集落です。

マルディンを遠くから見ると、家々の金色の石と町が建っている岩山とを見分けることはできませんが、近寄ってみると、住宅や公共施設の石彫と装飾はこの町が建造物の宝庫であることを明らかにしてくれます。
美しい家並みの中に、古代の要塞とウルモスクをはじめとするいくつかのモスクが建っています。石で作られた15世紀のカスム
パシャ神学校の建物は特に優れています。14世紀のウサ
ベイ神学校では壮麗な彫刻を施された正面玄関を目にした後、屋上に上ってメソポタミア平原の雄大な風景を楽しむことができます。
マルディンの7km東には、かつては華やかであった宗教団体、デイルルサフェランシリア-ヤコブ修道院があります。
近くのクズルテペには、アルトゥキッドゥの建築を代表する13世紀のウルモスクがあり、素晴らしい彫刻を施された壁がんと美しい正面玄関を誇っています。
"テルカリ"と呼ばれる銀細工で有名なミドゥヤットには、優雅で歴史的価値のある住居が多数あります。
町の18km東には、5世紀初頭に作られ今でも活発に活動を行っているシリア-ヤコブ修道院、ディレルムール(聖ガブリエル)があります。
バットゥマンはトルコで最も重要な産油拠点で、この貴重な燃料を汲み上げる油井が周囲に点在しています。
バットゥマンの北には1147年に作られたバットゥマン川にかかるマラバディ橋があります。今でも、幅広いアーチ型の当時のままの姿を穏やかな水面に映し出しています。2つの監視塔が橋の安全を守っています。
ハサンケイフには、12世紀のアルトゥキッズの首都の遺跡があります。かつてはディジュレ川にかかり町の二つの部分を繋いでいた橋と要塞内の城跡は、滅亡した王朝の霊を呼び起こすようです。青緑色のタイルで美しく飾られた15世紀のゼイネル ベイ霊廟はペルシャの影響を感じさせます。
シイルトゥは、アッバース朝のカリフ統治時代には非常に重要な町でした。町の建造物の中でも、12世紀のセルジュークのウルモスクと13世紀のアサキール・チャルシュモスクは見逃せません。
シイルトゥから6kmのところに位置するアイドゥンラールでは、イブラヒム・ハック霊廟総合施設と近くにある私設のイブラヒム・ハック天文学博物館に足を運んでみてください。シイルトゥでは大粒で良質のピスタチオが生産され、また、質の良い山羊の毛で作られたブランケットとキリムも有名です。
ジュディ山(2,114m)の北斜面にあるシュルナックは、ノア箱船がこの神聖な山に降り立ったというイスラムの神話からその名が付けられました。シュルが町、ナックがノアを意味します。シュルナックの45km先のジスレが彼の墓であると考えられています。